|
ゲーリー・アーサー・ジェスタッド(Garry Arthur Jestadt, 1947年3月19日 - )は、アメリカ合衆国イリノイ州シカゴ出身の元プロ野球選手(内野手)。 日本ハムファイターズでの登録名は「ジェスター」、大洋ホエールズでの登録名は「ゲーリー」。 == 来歴・人物 == フリモント高校を経て、1965年のMLBドラフト7巡目でシカゴ・カブスに指名され契約。カブスでのメジャー昇格はなく、のエクスパンション・ドラフトでモントリオール・エクスポズに移籍。9月17日の対ニューヨーク・メッツ戦(ジェリー・パーク)で、ゲイリー・ワセルスキーの代打として出場しメジャーデビューを果たす。結果はショートゴロだった。 シーズン途中に古巣カブスに移籍し、同年のメジャー出場はなかったが、にカブスでメジャー再昇格を果たす。しかし、カブスでは3試合に出場したのみで、シーズン途中にサンディエゴ・パドレスに移籍。パドレスでは同年に75試合、翌には92試合に出場したが、以降はメジャーでの出場機会はなかった。 に日本ハムファイターズへ球団初の外国人野手として入団した。一塁以外のすべての内野を守れるとのキャッチフレーズで、130試合に出場したが主軸としては長打力・確実性ともに欠け、同年オフに解雇された。 その後、大洋ホエールズに移籍。同年限りで引退したクリート・ボイヤーの「俺の引退後の三塁は彼しかいない」の一言が大洋入団の決め手となった。移籍したも一塁以外のすべての内野を守り、18本塁打と主砲としての活躍も見せるようになった。しかし、確実性の向上は見られず、シーズン終了後に退団となった。 にサンフランシスコ・ジャイアンツ傘下(当時)のAAA級フェニックスでプレーしたのを最後に現役引退。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ゲーリー・ジェスタッド」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|