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コシモ大公 : ウィキペディア日本語版
コジモ1世[こじも1せい]

コジモ1世(Cosimo I de' Medici, 1519年6月11日 - 1574年4月21日)は、初代トスカーナ大公で、フィレンツェの名門メディチ家の1人。
メディチ傍系であり、勇敢な傭兵隊長として知られた「黒隊長」ジョヴァンニ1498-1526年)と、その妻でロレンツォ・デ・メディチの孫にあたるマリーアの間に生まれる。また、ルネサンス期の女傑として知られるカテリーナ・スフォルツァの孫に当たる。1537年フィレンツェアレッサンドロローマ教皇クレメンス7世の庶子)が暗殺された後、18歳のコジモがフィレンツェ公を継ぐ。ハプスブルク家の支援のもと、フィレンツェの中央集権体制を確立した。イタリア戦争に参戦しスペイン側に付いて1555年にはシエナを併合し、1559年カトー・カンブレジ条約でシエナ公の地位を獲得する。さらに海軍を創設し、この海軍は1571年レパントの海戦にも参戦している。しかしスペインの警戒もあり、完全には公国は自立できなかった。コジモ1世の最大の功績は、首都フィレンツェの都市改造事業であり、現在のウフィツィ美術館や、ヴァザーリの回廊などを建設し、今日のフィレンツェの景観を作り上げるのである。
ジョルジョ・ヴァザーリアニョロ・ブロンズィーノらを宮廷画家として迎える。有名なヴァザーリの『画家・彫刻家・建築家列伝』はコジモに捧げられており、ブロンズィーノはコジモや妻エレオノーラなど一家の肖像を多く残した。
また、ミケランジェロの葬儀(1564年)を行った。コジモ1世の時代、再びフィレンツェでのルネサンス文化が花開いたといえる。
1562年、2人の子と妃エレオノーラ・ディ・トレドマラリアで相次いで死去。これ以後、コジモ1世の晩年は悲劇とスキャンダルに見舞われる事となる。1569年教皇ピウス5世により初代トスカーナ大公となった。
晩年は半身不随となり、また再婚するが家庭的に恵まれなかった。トスカーナ大公は子のフランチェスコが継ぐ。




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「コジモ1世」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Cosimo I de' Medici, Grand Duke of Tuscany 」があります。



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