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東明聖王(とうめいせいおう、(紀元前58年 - 紀元前19年)は、高句麗の初代(在位:紀元前37年 - 紀元前19年)とされる指導者であり、東明王とも呼ばれる。姓は高、諱は朱蒙(しゅもう、チュモン)または鄒牟(すうむ、、チュモ)、衆解(しゅうかい、、チュンヘ)とされる〔高句麗語に声調があったかわからないが、中国語とベトナム語において「蒙」字は平声東韻で、「解」字は上声蟹韻で読まれている。〕。扶余の金蛙王(きんあおう)の庶子とされる。扶余の7人の王子と対立し、卒本(ジョルボン 遼寧省本渓市桓仁)に亡命して高句麗を建国、初代指導者となった。 〔ツングース民族とするものもいる *Searchina「三国史記によれば、高句麗の始祖は朱蒙。ツングース系の一部族である扶余族(2008年2月24日serchina )」 *濱田耕策「夫余、高句麗、沃沮を構成したツングース系の諸族(Yahoo!百科事典)」「高句麗族はツングース系の扶余族の別種(木村誠 趙景達 吉田光男 馬淵貞利編『朝鮮人物事典』)」 *諏訪春雄「朝鮮で高句麗や百済を建国した夫余族はツングース系の遊牧民族(学習院大学教授 諏訪春雄通信 )」 *黄文雄は「満州族の先祖が築いた高句麗と渤海」との見出しで、「高句麗の主要民族は満州族の一種(中略)高句麗人と共に渤海建国の民族である靺鞨はツングース系で、現在の中国の少数民族の一つ、満州族の祖先である(黄文雄『満州国は日本の植民地ではなかった』)」「遼東や北満の地は、かつて高句麗人、渤海人などの(中略)ツングース系諸民族が活躍した地である(黄文雄『韓国は日本人がつくった』)」と高句麗と渤海を満州族の先祖としている。また、黄は「ひるがえって、満州史の立場から見れば、3世紀から10世紀にかけて東満州から沿海州、朝鮮半島北部に建てられた独自の国家が高句麗(?~668年)と、その高句麗を再興した渤海(698~926年)である(黄文雄『満州国は日本の植民地ではなかった』)」と高句麗と渤海を満州史としている。 *鳥越憲三郎「高句麗は紀元前1世紀末、ツングース系の濊族によって建国(鳥越憲三郎『古代朝鮮と倭族』)」 *護雅夫「高句麗は東北アジア、満州にいたツングース系民族であり、4世紀から6世紀の初めにかけての最盛期には朝鮮半島の大半と南満州とを勢力圏に収めた(Yahoo!百科事典)」 *広辞苑「【高句麗】紀元前後、ツングース族の扶余の朱蒙の建国という」 *大辞泉「【高句麗】紀元前後にツングース系の扶余族の朱蒙が建国」 〕。 == 建国神話 == 「東明」を始祖にする建国神話・始祖伝説は、扶余・高句麗・百済に共通して見られる。歴史的にみれば扶余建国神話の東明と高句麗始祖の朱蒙とは別の人物だと見当がつく。東明伝説も朱蒙伝説も筋書が構造的に共通点が多い、その特徴は王の政治的権威の源泉を天に帰属させ、同時に農業生産を左右する河神の権威を主張することである。ここでは高句麗の建国神話を『魏書』と『三国史記』に基づいて記述する。扶余の建国神話については後述。百済の始祖神話については、「温祚王#建国神話」を参照。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「東明聖王」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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