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本稿ではコソボの歴史について述べる。 バルカン半島のコソボは古くは(Dardania)と呼ばれ、紀元1世紀からはローマ帝国の属州モエシアの一部となった。700年ごろから1455年まで、ラシュカ公国などの中世のセルビア人国家の統治下となったが、1455年にオスマン帝国に征服されその一部となった。オスマン帝国のコソボ州(Kosovo Vilayet)は1875年まで存続したが、その領域は現在のコソボとは大きく異なっている。コソボは1912年にセルビアの一部となり、セルビアは1918年にユーゴスラビア王国を結成した。1963年、ヨシップ・ブロズ・ティトーの命令により、ユーゴスラビア社会主義連邦共和国・セルビア社会主義共和国の枠内でコソボは自治権を獲得したが、1990年代のユーゴスラビア崩壊に伴い、2006年に独立したセルビア共和国の一部となった。2008年2月17日、コソボは独立を宣言してコソボ共和国を自称し、国際社会の一部から独立国としての承認を受けている。 コソボは、民族主義が勃興した近現代において、セルビア人とアルバニア人の間で激しい争いの的となってきた。そしてセルビア人による初めての統一国家であるセルビア王国の中核的領土であり、また中世に建造された由緒ある聖堂や修道院などが数多く残されていたセルビア正教の聖地でもある。(但しこれらの宗教施設の多くはコソボ紛争でイスラム教徒のアルバニア人に破壊されたが、それでもコソボはセルビア正教の聖地であることには変わりない)さらに1389年にセルビア人がオスマン帝国に敗北したコソボの戦いの地でもある。他方、19世紀にはアルバニア人の民族運動の中核を担った土地であり、プリズレン連盟結成の地であることから、アルバニア人にとっても民族史上重要な意義を持っている。19世紀から20世紀にかけて、コソボの多数派を占めるアルバニア人と、この地では少数派であるセルビア人、コソボを支配してきたセルビアとの間ではたびたび暴力が起こり、両民族の間に強い緊張関係をもたらしてきた〔柴 pp.386-389〕。1999年のコソボ紛争では双方に多数の死者が出たほか、50万人のアルバニア人が難民となって域外に脱出した。紛争が終わりアルバニア人が故郷に帰還すると、セルビア人は報復にさらされ、多数がコソボを脱出、その多くが帰郷を果たせずにいる。 == 古代 == バルカン半島一帯には、中期旧石器時代からネアンデルタール人の居住が確認されている〔柴 pp.43-45〕。現在のコソボにあたる地域は、新石器時代にはドナウ川沿いに発展したヴィンチャ文化(Vinča culture)の地域に含まれる。青銅器時代は紀元前20世紀ごろから始まり、鉄器時代は紀元前13世紀ごろから始まる。青銅器時代および鉄器時代の墳墓はメトヒヤ地域でのみ見つかり、狭義のコソボ(東部コソボ)では見つかっていない。 この地域は紀元前4世紀にはイリュリア王国の一部となり、トラキアとの境界となった。このとき、トラキア・イリュリア人(Thraco-Illyrian)の部族ダルダニア人(Dardani)や、トラキア人の部族トリバッリ(Triballi)が居住していた。イリュリアは紀元前160年代にローマ帝国により征服され、紀元前59世紀にローマ属州イリュリクムとなった。コソボ地域は紀元87年に上モエシアの一部となった(モエシアとダルマチアに分断されたとする見方もあり、複数の考古学的証拠によって支持されている〔。上モエシアは284年以降、ディオクレティアヌスによってより小さな属州へと再編され、ダルダニア、第1モエシア、ダキア・リペンシス、ダキア・メディテラネウムに分割された。ダルダニアの首都はナイッススとなった。ローマのダルダニア属州にはコソボ東部が含まれ、他方でコソボ西部はドクレアを首都とするプレヴァリタナ属州の一部となった。395年のローマ帝国の東西分割では、この地域は東側の一部となった〔柴 pp.52-55〕。 527年に東ローマ帝国の支配者となったユスティニアヌス1世は、東ローマの領域をかつてのローマ帝国の領域にまで再拡大し、コソボは再びローマ帝国の支配下となった。ユスティニアヌスはラテン語を母語としていたこと、ラテン語の話されている西ヨーロッパの諸地域を帝国の範疇に収めたことから、しばしば「最後のローマ皇帝」と呼ばれる。 5世紀からゴート族やフン族などがバルカン半島に侵入した〔柴 pp.56-61〕。また、スラヴ人は6世紀から7世紀にかけてこの地に到達した〔クリソルド pp.20-21〕〔ヘッシュ pp.36-41〕〔柴 pp.61-65〕。7世紀には、パンノニア平原を支配していたアヴァール可汗国から、クベル(Kuber)に率いられたブルガール人の一団が侵入した〔柴 pp.65-73〕。この地域は850年代に再び東ローマ帝国に吸収された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「コソボの歴史」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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