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コロンビア・ペルー戦争 : ウィキペディア日本語版 | コロンビア・ペルー戦争[ころんびあ ぺるーせんそう]
コロンビア・ペルー戦争(コロンビア・ペルーせんそう、)とは、1932年から1933年までコロンビアとペルーの間で行われた戦争である。小規模な戦闘ののちに、国際連盟の仲介などで解決した。 == 開戦 == この戦争の背景には、次の2点に関するペルー国民の不満があった。すなわち、1922年に国境線と非武装地帯の設置などを取り決めたロサーノ・ソロモン協定と、コロンビア政府が砂糖について課していた重い関税の2点である。ロサーノ・ソロモン協定は、1911年にも両国間で国境紛争が発生したために締結された条約で、アマゾン川流域のレティシアがコロンビア領とされたことにペルー国民は不満だった。砂糖関税問題は、当時のペルーにとっての重要な外貨獲得資源に関わっていた。 事件は1932年にペルー国内での暴動から始まり、イキトスは蜂起した市民が支配する状態となった。ペルー国内は、同年7月に武装蜂起が起きるなど、政情不安であった。同年9月1日、イキトスの過激派市民は、越境してレティシアへ侵入し、コロンビア官憲を排除して占拠してしまった。レティシアを占拠したペルー市民には、製糖業や皮革業の関係者や、元レティシア住民が含まれていた。こうした状況を見たペルー大統領サンチェス・セロは、ペルー陸軍の2個連隊を派遣してレティシアとタラパカを占領させた。
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