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コンスタンス1世 : ウィキペディア日本語版
コンスタンス1世[こんすたんす1せい]

コンスタンス1世Constans I, 323年頃 - 350年)は、ローマ帝国の共同皇帝(在位:337年 - 350年)。
コンスタンティヌス1世とファウスタ(マクシミアヌス帝の娘)の間に三男として生まれるが、母親は不義密通の罪で処刑された。宦官が取り仕切る宮廷内で2人の兄とともに育てられ、337年に死去した父親の葬儀はコンスタンティノポリスで行われたが、滞在地の距離から参加しなかった。葬儀のしばらく後で、コンスタンティノポリスにいる親族は粛清されることとなる(首謀者はおそらく次男コンスタンティウス2世)。この後、3人の息子は会談を行い、揃って即位した。主にイタリア本土、パンノニアダキア、北アフリカなどを統治していたが、後に長兄のコンスタンティヌス2世から北アフリカの割譲を求められる。しかし340年、侵攻してきたコンスタンティヌス2世をアクィレイア近くで打ち破る。
コンスタンティヌス2世が統治していたブリタンニアガリアヒスパニアなどを引き継ぐが、自身も、配下の将軍、マグネンティウスに反旗を翻され、350年、捕われ殺害される。
== 関連作品 ==

*塩野七生 『ローマ人の物語XIV キリストの勝利』(小説)2005年





抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「コンスタンス1世」の詳細全文を読む



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