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コンスタンチノ・ドラード : ウィキペディア日本語版 | コンスタンチノ・ドラード コンスタンチノ・ドラード(Constantino Dourado、1567年頃 - 1620年)は、天正遣欧少年使節に随行した日本人。日本名は不明。肥前国(現在の長崎県諫早市)出身。「コンスタンティノ・ドーラード」とも表記する。 == 略歴 == 天正遣欧少年使節に随行し、ジョルジュ・デ・ロヨラらと共に印刷技術を学んだ。インドのゴアでは『原マルティノの演説』、マカオでは『日本使節見聞対話録』を発行し、1590年、グーテンベルク式活版印刷機を持って帰国した。 また、帰国後はアレッサンドロ・ヴァリニャーノの秘書を務めたが、江戸時代の禁教令によりマカオへ退去した。マラッカで司祭に叙階され、1618年にはマカオのセミナリヨの院長となり、2年後、その地で死去した。
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