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コンスタンチン・チュー : ウィキペディア日本語版
コンスタンチン・チュー


コンスタンチン・チューKonstantin "Kostya" Tszyu、男性、1969年9月19日 - )は、オーストラリアプロボクサー。元WBAWBCIBF世界スーパーライト級スーパー王者
ソビエト連邦セロフ(現ロシア連邦スヴェルドロフスク州)で生まれたが、現在はオーストラリア市民権を得てシドニーに在住している。アマチュアで培った抜群のテクニックを誇り1990年代後半から2000年代前半にかけてスーパーライト級に君臨し、この階級最強の呼び声も高かった名王者の一人である。剛腕を振りかざす無類のハードパンチャーで左手を伸ばし空手の様な構えからノーモーションで真っ直ぐに伸びる右ストレートはスピード、破壊力ともに他に類を見ない。試合ごとに彼の妻が編むという後ろ髪の弁髪のような細い三つ編みがトレードマークになっている。デビューから引退まで140ポンドのウェイトで戦い続けた。
== 来歴 ==

=== アマチュア時代 ===
チューはソビエト連邦の貧しい家庭に生まれた。父親は朝鮮人とモンゴル人の血を引いており、母親はロシア人である。幼少の頃から父に連れられてボクシングを始めた。直ぐに頭角を現したチューは、ソビエト連邦のナショナルチームに招集される。彼は、当時社会主義の優秀さをアピールするためにアマチュアスポーツの強化を国策にしていたソ連でボクシングのエリート教育を受けることになる。チューはソ連代表として1987年1989年1991年世界選手権大会に出場する。1989年の世界選手権モスクワ大会ではライト級銅メダル、同年ヨーロッパ選手権では金メダルを獲得。1991年の世界選手権シドニー大会ではスーパーライト級金メダル、同年ヨーロッパ選手権では金メダルを獲得している。1988年にはソウルオリンピックにも出場し、3回戦まで進出している。
ソビエト連邦崩壊後の1992年にチューは、1991年に世界選手権で訪れたオーストラリアに現在の妻とともに移住し、そこで家庭を築き、同年3月1日にプロデビューする。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「コンスタンチン・チュー」の詳細全文を読む



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