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コンスタンティヌスの寄進状(コンスタンティヌスのきしんじょう、''Constitutum Donatio Constantini'')は、ローマ教皇ステファヌス2世(在位752年 - 757年)ないしその側近によって8世紀中ごろに偽造された文書(偽書)。かつてはローマ皇帝コンスタンティヌス1世が教皇領を寄進した証拠の文書とされ、教権の重要な根拠の一つであった。『偽イシドールス教令集』に掲載されていた。 8世紀当時、東ローマ帝国からの独立性を主張するために造られたと考えられている。800年のフランク王国カール大帝への戴冠もこの偽書を根拠として行われた。中世におけるローマ教皇と神聖ローマ皇帝との叙任権闘争の際にも根拠とされ、また東方教会との対立問題ではカトリック教会の独立性を主張するために引用された。11世紀以後も、教皇の世俗権と皇帝に対する優位性(「世界はローマ教皇に帰属する」という主張)の根拠として使用された。 15世紀にイタリアの人文主義者ロレンツォ・ヴァッラが古いラテン語文献に使われている用法とは異なる点があることに気付き、『コンスタンティヌス寄進状の偽作論』を発表した。その後幾度もの論争を経て、18世紀に偽作であることが確定した。 ==『偽イシドールス教令集』== 『コンスタンティヌス帝の寄進状』は、『偽イシドールス教令集』に記載されていたもので、作者は不明である。 7世紀イベリア半島のセビリャ大司教イシドールスは従来の教令集『ディオニシアーナ』にスペインでの教会会議の決定を増補し、『ヒスパナ』という教令集を編纂した。のちにこれが『イシドールス集録』と呼ばれ、カノン法の法源とされた。 『偽イシドールス教令集』はこれとは別の物で、8世紀か9世紀にイシドールスに仮託して作成された偽文書である。 この文書の出自は明かでなく、いくつか説がある。9世紀にフランスの聖職者によって教皇権擁護のために作られたとするもの、8世紀中頃ラテラノの聖職者によって教皇への対抗のために作られたとするもの〔菊池良男著『新書ヨーロッパ史・中世編』p.36〕、同じく8世紀中頃、教皇パウルス1世在位中に教皇に仕える聖職者が作ったとするもの などである。 R・W・サザーンは、この文書の書かれた年代を750年よりあととし、その目的は # ビザンツ皇帝とローマ教皇の不和を正当化するため # フランク王国に対し、イタリア半島における旧ビザンツ帝国領に対する教皇の主権を証明するため であったとする〔R・W・サザーン『西欧中世の社会と教会』 (pp.97-99) 。〕。 この文書は書簡形式であり、その日付は315年3月30日に書かれたことになっている〔R・W・サザーン『西欧中世の社会と教会』p.97。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「コンスタンティヌスの寄進状」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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