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コンスタンティン・リャードフ : ウィキペディア日本語版 | コンスタンティン・リャードフ
コンスタンティン・ニコラエヴィチ・リャードフ(、ラテン文字表記の例:Konstantin Nikolaevich Lyadov、1820年5月10日(ユリウス暦4月28日) - 1871年12月19日(ユリウス暦12月7日))〔没年については、参考文献のうちBiographical Dictionary of Russian/Soviet Composersでは1868年とされている。また、初稿執筆時点において、ロシア語版では、本記事では1871年としているものの、Лядов">曖昧さ回避 Лядовではやはり1868年となっている。病気のため職を辞した年との混同か。〕は、帝政ロシア時代の指揮者、作曲家、ヴァイオリニスト。作曲家・音楽教師として有名なアナトーリ・リャードフの父親。 == 概要 == サンクトペテルブルクに生まれる。父ニコライ・リャードフ(生年不詳 - 1839年)は、ペテルブルク・フィルハーモニー協会の指揮者であり、兄アレクサンドル・リャードフ(1814/1818年 - 1871年)〔生年の異説は参考文献Biographical Dictionary of Russian/Soviet Composersの記述による。〕もバレエ指揮者、作曲家として帝室劇場で活躍している。ペテルブルク演劇学校で音楽理論をカルロ・ソリヴァに学び、卒業後は帝室劇場で初めはヴァイオリニストとして、1850年からは指揮者として活動した。1860年、落成したマリインスキー劇場の初代首席指揮者(楽長)に就任し、多くのロシア・オペラの初演を果たしている。1868年に病を得て、翌年、首席指揮者の地位をエドゥアルド・ナープラヴニークに譲り渡した。職を辞した後、サンクトペテルブルクで没している。 指揮活動と並行して、1862年からはサンクトペテルブルク音楽院で音楽理論の教授に携わり、また、作曲家としても有能であると評されていた。父親について幼少時から歌劇場を自由に出入りしていた息子のアナトーリは、歌劇場関係者がコンスタンティンの音楽活動25周年を記念して設立した奨学金により、サンクトペテルブルク音楽院への入学を許可されている〔参考文献 ロシア音楽史II p.77-79〕。
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