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コンセール・ラムルー管弦楽団 : ウィキペディア日本語版
コンセール・ラムルー

コンセール・ラムルーConcerts Lamoureux)は、パリの民営のオーケストラ。ラムルー管弦楽団Orchestre Lamoureux)とも呼ぶ。1881年シャルル・ラムルーにより設立された。コンセール・パドルーコンセール・コロンヌと並ぶ、パリ3大民間オーケストラの一つである。1993年から2010年まで佐渡裕が首席指揮者を務めた。
==歴史==
1881年ヴァイオリン奏者指揮者のシャルル・ラムルーが、パリ10区にあったシャトー・ド・オー劇場(Théâtre du Château d'Eau)と週毎のコンサートを契約し、『新コンサート協会』(la Société des Nouveau Concerts)を編成して、10月23日、初の演奏会を開いた。パリにはすでに、パリ音楽院管弦楽団コンセール・ポピュレールコンセール・コロンヌがあった。
コンサートでラムルーは、内外の新しい曲の演奏に努め、また、ワーグナーの紹介に意欲的であった。
1897年、ラムルーは女婿のカミーユ・シュヴィヤールに席をゆずり、協会は『コンセール・ラムルー協会』(l'Association des Concerts Lamoureux)と改名した。
その後演奏会場を転々と変えたが、1907年から、8区に新築されたサル・ガヴォー(Salle Gaveau)を本拠とした。
第一次世界大戦中の1914年から1918年までは、楽員不足のためコンセール・コロンヌと合同し、カミーユ・シュヴィヤールがコンセール・ラムルーの名で、ガブリエル・ピエルネがコンセール・コロンヌの名で指揮して、交互に演奏会を続けた。
*1940年、8区、エトワール広場に近いサル・プレイエル(Salle Pleyel)に移った。
*1960年イーゴリ・マルケヴィチ指揮でアメリカ合衆国を巡演した。
*1991年10月3日、1000回目の演奏会を開いた。
*1993年、佐渡裕が首席指揮者となり、次第に経済的に立ち直った。
*2005年3月24日浜崎あゆみと『MY STORY Classical』を録音した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Orchestre Lamoureux 」があります。



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