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サンボ()はソビエト連邦で開発された格闘技。ソビエト連邦においては、軍隊格闘術としても発展した。 はロシア語で、(samooborona bez oruzhiya、「武器を持たない自己防衛」の意)の省略であると言われている。つまり、広義では護身術のことである。〔Samboには黒人への蔑称の意があるためアメリカではSomboと表記することもある。〕 狭義では、一般に知られているスポーツ格闘技であるスポーツサンボのことを指し、この意で使われることが最も多い。 また、ソビエト連邦内務省や赤軍で徒手軍隊格闘術として採用されていた護身術としてのサンボを、バエヴォエサンボ()と言い、日本ではコマンドサンボ、英語圏・イタリアではコンバットサンボ(COMBAT SAMBO、Kombat sambo)と呼称される。 今日では、こちらも打撃を追加した総合格闘技としてのスポーツ化と、ロシア連邦軍の軍隊格闘術としての分化が進んでいる。 == サンボの歴史 == サンボの創始者の1人として、帝政時代のロシアにおいて、サハリンから神学生として日本に渡り、講道館にて嘉納治五郎のもとで柔道を学んだワシリー・オシェプコフが挙げられている〔http://www.j-sambo.jp/renmeikankei/sambosetumei1.rekishi.htm〕。 彼は1930年代にソ連各地で柔道の普及活動を行なったが、1937年、スターリン大粛清の対象となり、「日本のスパイ」〔皮肉にもオシェプコフはロシア革命当時、ウラジオストックにてボルシェビキのスパイとして、日本へのスパイ活動を行っていた。〕という嫌疑をかけられ投獄、獄中で病死する。〔オシェプコフの死後、仮想敵国である日本由来の柔道はタブーとされた。〕 サンボという名称は、もう1人のサンボの創始者である、帝政ロシア軍人であったビクトル・スピリドノフがボクシングと柔術をもとに独学で編み出した格闘技「Cамооборона без оружия(「武器を持たない自己防衛)」に由来する。1930年代に体系化し、サンボという名称が名づけられる。この格闘技は第一次世界大戦後、白兵戦の重要性に気づいたソ連赤軍に軍隊格闘術として採用され、後の「バエヴォエサンボ(Боевое самбо)」につながっていく。スピリドノフの理論的な「サンボ」とオシェプコフの実践的な「柔道」は当時対立関係にあった。 1938年に、スポーツトレーナーの全国会合において、オシェプコフの弟子アナトリー・アルカディエビッチ・ハルランピエフが「ソ連式フリースタイルレスリング」の創設を発表する。ハルラムピエフは会合で、「ソ連式フリースタイルレスリング」はグルジアやタタール、カザフスタン、ウズベキスタン、トルクメニスタンなどソ連各地の民族レスリングに基づいた新しい格闘技だと主張したが、その実はオシェプコフの柔道であった。人工的国家であったソ連には、民族統合の象徴となるスポーツが必要であったのである。 そして同年11月16日、全ソ体育スポーツ委員会は「フリースタイルレスリング(борьбы вольного стиля)」を認可し、ソ連全土での普及活動が認められる。この日がロシアでは国技としてのサンボ誕生日ともみなされている。第二次世界大戦後、1947年「サンボ」と改称され、これがスポーツサンボとして定着することになる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「サンボ (格闘技)」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Sambo (martial art) 」があります。 スポンサード リンク
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