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コンラート・ゾイゼンホーフェル(Konrad Seusenhofer, 1450年~1460年頃 - 1517年8月30日)は、中世ヨーロッパの鎧鍛冶職人。パトロンに神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世がいた。 ==略歴== 鎧作りの中心地の一つ、中世ドイツ南部の大都市アウクスブルクで父から鎧作りを学んだ。評判が伝わってマクシミリアン1世から声がかかり、弟のハンス(Hans Seusenhofer, 1470年前後 - 1555年)と共に、チロル地方にある、皇帝の住むハプスブルク家領の都市インスブルックへ移った。そこでコンラートは、1504年に皇帝専属の鎧職人として任命され、年間200フローリンもの俸給(平均的騎士の4倍、王宮直属の騎士の2倍)をもらっていたと言われている。 コンラートと皇帝の親密さを示す絵が残されており、その工房の絵(ハンス・ブルックマイヤー画)にはハンマー、ステイク(stake)と呼ばれる小型の金床、ふいご等、作業道具も描かれている。 コンラートの死後、工房はハンスに引き継がれた後、ハンスの息子イェルクに引き継がれる。 : — イェルク・ゾイゼンホーフェル(Jörg Seusenhofer, 1505年頃 - 1580年)はフェルディナンド1世が息子フェルディナンド2世大公のために巨額の資金を投じて作らせたイーグル・アーマーの制作者。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「コンラート・ゾイゼンホーフェル」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Konrad Seusenhofer 」があります。 スポンサード リンク
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