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コーディ・ラネルズ : ウィキペディア日本語版
コーディ・ローデス

コーディ・ローデス(''Cody Garrett Runnels''、1985年6月30日 - )は、アメリカ合衆国プロレスラーケンタッキー州ルイビル出身。現在はWWEに所属している。Cody RhodesのRhodesはローズと発音する。
父はダスティ・ローデス、その息子であるダスティン・ローデスは異母兄にあたる。妻はNXTリングアナウンサーのエデン。英語圏では名前をローズと発音するのが一般的だが、本項では以降日本でよく知られている名前のローデスを使用する。
== 来歴 ==
2006年8月にWWEとディベロップメント契約を結び、OVWに送り込まれる。早くに南部タッグ王座を獲得し、2007年2月には、ポール・バーチルからOVWヘビー級王座を奪取した。3月31日に行われた父親のWWE殿堂入り表彰式に出席している。
その後リングネームを父親に合わせてコーディ・ローデスに変え、5月にスマックダウンダーク・マッチに出場。そして7月2日のRAWに、父ダスティの紹介で初登場する。父と共にランディ・オートンと抗争した。
2007年10月頃より師匠的存在のハードコア・ホーリーとタッグで活動。同年12月のRAW15周年大会では父も見守る中、世界タッグ王座を獲得した。
2008年6月のWWE Night of Champions 2008ではテッド・デビアス・ジュニアミステリアスパートナーとの対戦が決定。PPV当日には実はコーディがテッド・デビアス・ジュニアのパートナーであることが発覚。ハードコア・ホーリーを裏切り一瞬の隙を突いてDDT放ちデビアスにフォールさせ、異例な形ながら自身にとって二度目の世界タッグ王座を獲得した。この出来事によって、ヒールターンする。
その後7月のRAWにてジョン・シナ&バティスタ組と対戦し王座陥落する。しかし翌週のRAWで再度シナ&バティスタ組と対戦し、相手側の内輪揉めを利用し三度目の世界タッグ王座を獲得した。このタッグ王座は後にCMパンク&コフィ・キングストンに奪われる。タッグパートナーのテッド・デビアス・ジュニアランディ・オートンに襲撃され欠場したことからオートンとの抗争が始まるかと思われたが、同じく二世レスラーのマヌと共にオートンの誘いを受け"レガシー"の一員となった。さらにシム・スヌーカもレガシーに加わる。
2009年からレガシーはオートン、デビアス、ローデスの3人体制となった。以降は試合に乱入し抗争相手を襲撃するなど、デビアスと共に主にオートンのサポートとして活動していた。デビアスと共にトリプルHの王座獲得を阻んでいたため、トリプルHと抗争をしていた。その後トリプルHが休場していたショーン・マイケルズを呼びよせD-ジェネレーションXを再結成したためDXと抗争を繰り広げる。DXとの抗争終了後はレガシーのリーダーであるオートンとの関係が徐々に険悪なものとなる。そして2010年3月28日のレッスルマニア26でトリプルスレット形式でオートンと戦うがオートンのパントキックを浴び、デビアスと共にオートンに敗れる。これによりレガシーは完全に解散となった。4月末の追加ドラフトによりSmackDown!へ移籍する。
NXTシーズン2ではハスキー・ハリスを指導するプロとして登場している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「コーディ・ローデス」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Cody Rhodes 」があります。



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