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コーネリア・ジャドソン(ジャジソンとも、Cornelia Judson、1860年10月20日 - 1939年9月17日)は、アメリカ合衆国出身の宣教師で、アメリカン・ボードから派遣され、日本で活躍した。 コネチカット州ストラトフォードに生まれ、1882年にコネチカット州立師範学校(現Central Connecticut State University)を卒業して、小学校の教員として働く。その後、ウェルズリー大学に入り、英文学を学ぶ。在学中に海外宣教に重荷を持つ。 1887年ボストン婦人伝道会の宣教師と共に、アメリカン・ボードの宣教師として来日する。新潟女学校で3年間英語を教えた。 1890年に松山に移り、松山女学校(現、松山東雲学園)の教師になる。また、貧困層の子供たちのために松山夜学校を設立する。その後、日本語習得のために、宣教師がいない宇和島に行く。その頃、西村清雄がジャドソンを助ける。 1905年に松山に戻り、松山女学校の2代目校長に就任する。1920年に校長を辞職、1932年に女学校教師を引退し、宣教師を退職し、アメリカに帰国する。故郷ストラトフォードで死去する。 == 参考文献 == *『キリスト教人名辞典』日本基督教団出版局、1986年 *『日本キリスト教歴史大事典』教文館、1988年 *高橋昌郎『明治のキリスト教』吉川弘文館、2003年 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「コーネリア・ジャドソン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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