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『ゴジラ対メガロ』(ゴジラたいメガロ)は、1973年(昭和48年)3月17日に「東宝チャンピオンまつり」の一編として公開された特撮映画であり、「ゴジラシリーズ」の第13作である。観客動員数は98万人。カラー、シネマスコープ。 == 解説 == 東宝怪獣映画第25作目となる。前作『地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン』に引き続き、ゴジラは怪獣島を住みかとしていて、ジェットジャガーの要請を受けて出動する「正義の怪獣」となった。 公開当時のキャッチコピーは「海底王国のすごいやつメガロ! 傷だらけのゴジラ必殺のウルトラC!」。 検討用台本での題名は『ゴジラ対メガロ 海底王国全滅作戦』、準備稿での題名は『昆虫怪獣メガロ対ゴジラ 海底王国全滅作戦』となっていた。 本作の脚本は、当初関沢新一に執筆依頼が持ち込まれたが、当時の関沢は作詞業にかかりきりで執筆の時間が無く、「海底人が核実験に怒り怪獣を派遣する」という簡単な原作だけを提供。企画立ち上げから撮入まで全く時間が無かったため、監督の福田純が脚本に起こすという体制で企画作業が進められた。 「東宝チャンピオンまつり」の番組となって以来、新作ゴジラ映画は低予算化が強いられ、脚本段階からさまざまな制約を受けるものとなっていた。特殊技術の中野昭慶は「とにかく低コスト、最低の時間でどこまでやれるんだという、そういった問題との取り組みがものすごくあった」と語っている。この低予算を受け、キャスト面では新人を中心として小人数となり、ゴジラシリーズで唯一、メインキャストに女性が存在しない作品となっている。本編面でも伊吹博士の研究所やシートピア王国のセットが組まれた以外は、ほとんどロケで撮影されている。特撮面でも、中野監督によると予算がないため、決戦シーンでは何もない荒野しか用意できなかった。実質的な撮影期間は全盛時の4分の1以下、2週間ほどだったという。 このような予算不足のため、メガロによる都市破壊のシーンには、前作同様、過去の作品からのフィルム流用が多い〔流用シーンのほとんどが前作でも使用したものに加え、前作での新撮映像をも使用している。ガイガンの再登場やメガロが発射する光線がキングギドラの引力光線と同じ形状・色をしているのも流用の際の便宜のためである。〕。そんな中、メガロによるダム破壊シーンは、オープンセットによるフルスケールのミニチュアが組まれ、迫力のある見せ場になっている。特技監督の中野昭慶は「乏しい予算の中の一点豪華主義」と述べている〔。 怪獣同士の戦いの描写は、「怪獣タッグマッチ」がコンセプトにあり、ゴジラがVサインをしたり、メガロが尻を叩く仕草をして挑発するなど、かなり人間味を帯びている〔。擬人化した本格的な立ち回りが採り入れられたため、撮入前に体育館を使って、アクション俳優の渡辺高光による殺陣の指導が行われた。 主題歌歌手には当時大ヒットしていたテレビ番組『仮面ライダー』(東映、毎日放送)で知られる子門真人を起用したほか、ジェットジャガーのテレビヒーロー調デザイン、巨大化の描写など、当時の「変身・怪獣ブーム」によってテレビを中心に量産されていた巨大ヒーロー番組の影響を少なからず受けており、また東宝も本作の公開後、自社で制作したテレビ映画『流星人間ゾーン』(日本テレビ)でゴジラやガイガン、キングギドラを登場させて設定の発展を試みている。その一方で『ゴジラ対ヘドラ』以後、「公害」をテーマに置いていた「ゴジラシリーズ」で久々に(そして昭和ゴジラシリーズでは最後の)「反核」をテーマに置いた作品であり、ラストは地上の人間の核実験を反省する主人公たちの会話で締めくくられる。核実験の犠牲者であるゴジラ(本作中ではこの設定は省略されている)が同じ核実験の被害者であるシートピア王国と戦う皮肉な展開となった〔ゴジラとジェットジャガーはメガロを退散させるだけで殺してはいない。〕。 「本編にも何か見せ場が欲しい」という福田の意向で、自動車が階段や急な崖を下ったり、プレハブを突き破る等の派手なカーチェイスシーンが撮られた。カースタントは『動脈列島』(1975年)でもスタントを担当した「チームザンバ」が行い、この撮影には特撮班もキャメラ応援を行っている。 本田技研工業がタイアップ協力しており、研究所に落ちていたボタンと砂を分析するシーンは本田技研工業技術研究所で撮影されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ゴジラ対メガロ」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Godzilla vs. Megalon 」があります。 スポンサード リンク
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