翻訳と辞書
Words near each other
・ ゴノメリー
・ ゴノレゴシリーズ
・ ゴバイシ
・ ゴバンノアシ
・ ゴパクマー・ヴァッファ不変量
・ ゴパック
・ ゴパル・キランティ
・ ゴパル・キラーティ
・ ゴパル・シャキャ
・ ゴパン
ゴパーク
・ ゴヒショウコン
・ ゴビ
・ ゴビアテリウム
・ ゴビケラトプス
・ ゴビサウルス
・ ゴビスンベル県
・ ゴビズキンカモメ
・ ゴビット
・ ゴビノー


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ゴパーク : ウィキペディア日本語版
ホパーク

ホパークウクライナ語〔ホパークという名称は、「跳んで踏み込む」あるいは「跳んで踊る」を意味するウクライナ語の動詞「ホーパティ」()に由来する。(ウクライナ語オンライン辞典 )〕)は、ウクライナ・コサックの踊りに由来するウクライナの伝統舞踊の一つである。身軽な動きと複雑な跳躍を含み、早いテンポで演技される。コサックダンスとも。ロシアの舞踊と誤認されることも多いが、ウクライナの代表的な伝統文化である。''〔ホパークという名称は、「跳んで踏み込む」あるいは「跳んで踊る」を意味するウクライナ語の動詞「ホーパティ」()に由来する。(ウクライナ語オンライン辞典 )〕)は、ウクライナ・コサックの踊りに由来するウクライナの伝統舞踊の一つである。身軽な動きと複雑な跳躍を含み、早いテンポで演技される。コサックダンスとも。ロシアの舞踊と誤認されることも多いが、ウクライナの代表的な伝統文化である。
== 歴史 ==

ホパークは16世紀初頭にウクライナ・コサックの興隆とともに出現したウクライナの舞踊である。その原型は13世紀半ばに古ウクライナ国家たるキエフ大公国を滅ぼしたモンゴル人によって持ち込まれた東洋武術だった。この武術はウクライナの軍人階級によって受容されて簡素化され、銃の普及によって体を鍛える曲芸的テクニックへと変容し、次第にコサックの舞踊として発展していった。
コサックは独身の軍事共同体だったので、ホパークはもっぱら男性による世俗的な舞踊であり、当時のウクライナで一般的だった女性のみによる儀式舞踊とは全く異質なものだった。踊りの動きは、体の強さと柔軟さ、また、戦でのコサックの武勇を表していた。コーブザバンドゥーラバグパイプ太鼓タンブリンなどの楽器で、一人または数人の武装したコサックにより伴奏された。
17世紀半ばにフメリヌィーツィクィイの乱によってウクライナでコサックの国家が誕生すると、ウクライナ・コサックの舞踊文化はウクライナの各町村で流行し、ホパークはコサックのみならずウクライナの町人や農民の間でも広く演奏されるようになった。17世紀末にはウクライナの儀式舞踊の要素が加わり、その様式は円形舞踊となり、踊り手は一組ないし数組の男女となった。しかし、18世紀にウクライナがロシア帝国に併合されるとウクライナ・コサックはロシア政府によって廃止され、コサックの舞踊はほとんど姿を消した。男女の舞踊としてのホパークだけがウクライナの農村部に残存した。
19世紀にホパーク風の舞踊は農奴と農民の劇場で演じられるようになり、それが人気を博すとプロの劇団もそれを自らのレパートリーに採り入れるようになった。1832年にその舞踊は『ナタールカ・ポルターウカ』においてオペラの中で初めて披露された。これをきっかけにウクライナの伝統舞踊への関心が高まり、20世紀初頭にウクライナの音楽学者、ヴァスィーリ・ヴェルホヴィーネツィがコサック・ホパークの復元を試みた。
ヴェルホヴィーネツィが振付けた三部からなる舞踊〔第一部は男性が踊る早いテンポの「コサック・ホパーク」、第二部は女性が踊るゆっくりとした「女性ホパーク」、第三部は男女が一緒に踊る「最終ホパーク」となっている。〕は、1935年ロンドンで行われた国際民族舞踊演奏会で発表され、最高賞を受賞した。現在、一般に世界中でホパークとして知られている舞踊はこのヴェルホヴィーネツィの研究成果に基づいている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ホパーク」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Hopak 」があります。



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.