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ゴリャヂ族[ごりゃぢぞく]
ゴリャヂ族〔『ポーランド・ウクライナ・バルト史』p41〕()は11 - 12世紀のルーシの史料に言及のあるバルト系部族である。居住区はプロトヴァ川(ru)上流であり、ヴャチチ族とクリヴィチ族の居住区に挟まれた位置にあった〔和田春樹編『ロシア史』p19〕(現ロシア・モスクワ州、スモレンスク州、カルーガ州)。 ==歴史==
考古学的にはモシチナ文化(ru)と関連性があるとされる。また民族学的にはガリンダイ人(ru)と関連性があり、その東部のグループ(西部はプルーセン)とされている。 ゴリャチ族という名に関する最初の言及は1058年の記述である。また、ルーシの年代記(レートピシ)によれば、1147年にノヴゴロド・セヴェルスキー公スヴャトスラフがゴリャチ族を攻めている〔Київський літописний звід (ПСРЛ. — Т. 2. Ипатьевская летопись. — СПб., 1908. — Стлб. 285-301.) 〕。12世紀末頃にはゴリャチ族はスラヴ系部族(主にヴャチチ族と考えられる〔В. В. Седов Голедь 〕)と同化した。 研究者の多くは、ゴリャチ族は元来(2世紀)は東プロイセンに住んでおり、後に東進し、バルト東部のベルフネオクスカヤ文化(ru)(直訳:オカ川上流文化)と同化したと考えている。ゴリャチ族の移住の理由の1つとして、Basternei族(ru)のザルビンツィ文化の東方への拡大が原因であるという仮説がある。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ゴリャヂ族」の詳細全文を読む
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