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ゴルカル()は、インドネシアの政治団体、政党である。立党原則を、パンチャシラ(建国5原則)と1945年憲法に置いている。なお「ゴルカル」は「ゴロンガン・カリヤ 」(職能集団)の略称である。 旧スハルト政権下で実施された総選挙では圧倒的な得票率をあげて勝利し、同政権を支える「与党」として機能してきた。ただし、「政党とゴルカルについての法律(1975年)」及び「同改正法(1978年)」(以後、一括して「政党・ゴルカル法」と略)は、ゴルカルを政党ではなく「職能団体」であると規定していた。 スハルトの失脚時まで政権「与党」としての機能を継続したが、ハビビ政権下で新たに制定された政党法では、ゴルカルの特権的地位が改められ、組織は「政党」として再編されることになった。 == スハルト時代以前 == スハルト政権の支持基盤として存続してきたゴルカルであるが、その組織的起源はスカルノ政権末期にある。 9月30日事件に至るまでのスカルノ「指導される民主主義」末期、インドネシア共産党()の組織拡大を警戒した国軍は、傘下の大衆組織に対抗しうる組織を形成する必要に迫られた。そこでに反発する職業別集団を組織化し、それらを調整する機関として、1964年10月20日にゴルカル共同事務局()を発足させた(大形、1995年、144頁以下を参照)。 その後、9月30日事件によってが壊滅し、スカルノの失脚、スハルトの大統領就任、そしてスハルトによる新体制が始まるとともに、ゴルカルもまた新たな政治的役割を担うことになった。1971年7月5日に予定された総選挙に、スハルト政権を支持する政治団体として、ゴルカルも参加することになったのである。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ゴルカル」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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