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サイモン・ウィットロック : ウィキペディア日本語版
サイモン・ウィットロック

サイモン・ウィットロック(Simon Whitlock ''"The Wizard of Oz"'', 1969年3月3日- )は、オーストラリアダーツプレイヤーである。
右投げ。
シドニー出身。
現在、プロフェッショナル・ダーツ・コーポレイション (PDC) で活躍している。
一時期ライバル団体のブリティッシュ・ダーツ・オーガナイゼイション (BDO) でプレイしていたこともある。
彼の入場曲は、メン・アット・ワークダウン・アンダー
彼の今日までにおける最も輝かしい業績は、BDOからの移籍に見事成功し、2010年のPDC ワールド・ダーツ・チャンピオンシップで、フィル・テイラーに続き、準優勝したことである。
フィル・テイラーと同じく170のハイエスト・チェックアウトの分を含むこのトーナメントの賞金は、彼をオーストラリアから、イギリスへの移住と、PDCツアーで戦うことを可能にしてくれるだろうと、彼は述べていた。
彼の敗北によって、今までにただ1人、彼をBDOとPDCの両ワールド・チャンピオンシップの決勝戦に到達したにも関わらず、チャンピオンになったことのない初めてのプレイヤーにもなっている。
==初期==

彼は、2003年のPDC ワールド・ダーツ・チャンピオンシップにおいて、ベスト16まで、そして2005年のBDO ワールド・ダーツ・チャンピオンシップにおいて、0-5でマーティン・エァダムズに負けてしまったものの準決勝まで、それぞれ到達した。他のイベントでは、2005年と2006年のインターナショナル・ダーツ・リーグの準決勝まで勝ち残っている (順に、マーヴィン・キングライモント・ファン・バルネフェルトに敗戦) 。
2007年、PDCはオーストラリアン・グランプリ (AGP) を開催。
これは、ウィットロックの祖国における一連のトーナメントであり、"The Wizard"は、初めの2つのイベントを優勝した。
AGPの最終的な優勝者は、2008年のPDC ワールド・ダーツ・チャンピオンシップの自動的な予選通過権を得られることになっていたが、ウィットロックは、ワールド・ダーツ・フェデレイション (WDF) 及びBDOプレイヤーのままで、BDO ワールド・チャンピオンシップで戦うことを選ぶ。
ウィットロックは、エドウィン・マックスファビアン・ローゼンブラント、そして、準決勝で前ワールド・チャンピオンであったテッド・ヘァンキー(彼は、翌年再びワールド・チャンピオンとなる)を5-0で打ち破っていくという、絶好調ぶりをみせていた。それから、カンブリアブライアン・ウッズに勝利し、2008年のBDO ワールド・ダーツ・チャンピオンシップの決勝に駒を進めた。そこで彼は、5-7でナンバー1・シードだったマーク・ウェブスター(ダーツ)に敗れる。
ウィットロックは、2009年のBDO ワールド・ダーツ・チャンピオンシップにナンバー12・シードとして参戦し、第1ラウンドでマーク・バーロリーを打ち破ったが、第2ラウンドでデレル・フィットゥンに負けた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「サイモン・ウィットロック」の詳細全文を読む



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