翻訳と辞書
Words near each other
・ サイード・ペルヴェス・カムバクシュ
・ サイード・マルーフ
・ サイード・ムスタファ・カゼミ
・ サイード・ムルジャン
・ サイード・ムルジャーン
・ サイード・モハマッド・グリャブゾイ
・ サイード・モハマッド・ハサン
・ サイード・ラシッド・アル・クバイシ
・ サイード人
・ サイード横田仁奈
サイード=マゴメド・カキエフ
・ サイーブ・アシュマン
・ サイ亜目
・ サイ布駅
・ サイ所元常
・ サイ科
・ サイ科学
・ サイ郡
・ サゥザンド・ナイツ / スペーシィ・ラブ
・ サゥザンド・ナイツ/スペーシィ・ラブ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

サイード=マゴメド・カキエフ : ウィキペディア日本語版
サイード=マゴメド・カキエフ
サイード=マゴメド・シャマエヴィチ・カキエフ(; 1970年2月22日 - )は、ロシア連邦チェチェン共和国の軍人、政治家。中佐、ザーパド大隊長。ナドテレチヌイ地区出身で、親露派として知られる。
グロズヌイの中学校卒業後、ソ連軍に勤務。1991年、ナゴルノ・カラバフで任務を遂行。
1991年秋、チェチェンに帰郷。独立派の主張によれば、1990年代初め、ロシア連邦軍参謀本部情報総局 (GRU) と非公然に協力していた。1992年-1993年、ロシア特務機関の協力の下、チェチェン北西部の親露派武装部隊の創設に参加。1993年、手榴弾を使ってチェチェン大統領ジョハル・ドゥダエフの暗殺を図ったが失敗して重傷を負い、モスクワに後送されて手術を受けたが、顔面の再建が必要だったうえ両手と片目を失った。療養後、チェチェンに戻り、反ドゥダエフ派武装部隊を指揮した。第1次チェチェン戦争時、連邦軍側で私兵を指揮した。
1996年8月、ハサヴユルト協定締結後、チェチェンを離れ、2年半の間モスクワに居住していた。独立派の情報によれば、この間、イングーシダゲスタンにおいてGRUの任務を遂行していたともされる。
第2次チェチェン戦争勃発後、チェチェンに戻り、数ヶ月間ナドテレチヌイ地区の副首長を務め、ロシア国防省と協定を結び、戦闘に加わった。
カディロフ氏族には非常に否定的であり、2003年の選挙キャンペーン時、アフマド・カディロフの対抗馬であるフセイン・ジャブライロフを支持した。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「サイード=マゴメド・カキエフ」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.