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サウス・サイド・パーク : ウィキペディア日本語版 | サウス・サイド・パーク
サウス・サイド・パーク(''South Side Park'')は、アメリカのイリノイ州シカゴにかつてあった野球場である。 1880~90年代、シカゴにはサウス・サイド・パークが2ヶ所あった。1ヶ所目は39番通りに面した場所にあり、ユニオン・アソシエーション(1884年のみ)というリーグのシカゴ・ブラウンズが本拠地にしていた。もう片方は35番通り沿いに建設され、1890年にはプレイヤーズ・リーグ(この年のみ)のシカゴ・パイレーツが、1891~93年にはナショナルリーグのシカゴ・コルツ(現シカゴ・カブス)がホームとして使用していた。 1900年、シカゴ・ホワイトソックスオーナーのチャールズ・コミスキーによって、39番通りの北方に3軒目のサウス・サイド・パークが建設され、ホワイトソックスの本拠地として使用され始めた。1909年には火事のためスタンドが焼失したが、すぐに新しいスタンドが建設された。ホワイトソックスは1910年のシーズン半ばにより収容人数の多い新球場コミスキー・パークに移転するまでの間サウス・サイド・パークを本拠地にした。 1911年からは、ルーブ・フォスターによって結成されたニグロリーグ・シカゴ・アメリカン・ジャイアンツの本拠地となった。コミスキーの義理の息子で、フォスターの仕事上のパートナーのジョン・C・スカーリングの名を取って、球場名がスカーリングス・パーク(''Schorling's Park'')に改称された。 1940年12月25日、スカーリングス・パークは火事で全焼した。球場は再建されず、アメリカン・ジャイアンツはコミスキー・パークへ移転した。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「サウス・サイド・パーク」の詳細全文を読む
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