翻訳と辞書 |
サウス山の戦い[さうすさんのたたかい]
サウス山の戦い(サウスさんのたたかい、、南部の初期文献ではブーンズバラギャップの戦い、)は、南北戦争のメリーランド方面作戦の一部として1862年9月14日に行われた戦いである。サウス山の山径3箇所、すなわち、クランプトンギャップ、ターナーギャップおよびフォックスギャップの占有を巡って3つの会戦が行われた。北軍ジョージ・マクレラン少将がポトマック軍を指揮し、南軍ロバート・E・リー将軍の北バージニア軍を追跡するためにこれらの山径を通過する必要があった。リー軍は勢力的には負けていたが、マクレラン軍の進軍を1日遅らせた後に撤退した。 == 背景 == サウス山はブルーリッジ山脈の並びがメリーランド州に入ったところに付けられた名前である。シェナンドー渓谷とカンバーランド渓谷をメリーランド州東部から分ける天然の障害である。 リーがメリーランド州に侵入した後で、その軍隊の動きの詳細を書いた命令191号と呼ばれるものの写しがマクレランの手に入った。この写しからマクレランは、リーがその軍隊を分けていることが分かり、それらが再結集して対抗してくる前にこれら孤立した部隊を攻撃し打ち破れると期待した。リー軍に追いつくためには、サウス山を横切る必要があった。リーはマクレランが重要情報を掴んでいることを察知し、直ぐにその前進を妨害するために山径の部隊に援軍を派遣した。 マクレランはこれら山径を攻撃するために一時的にその軍隊を3つの翼に編成した。アンブローズ・バーンサイド少将が右翼で第1軍団(ジョセフ・フッカー少将)と第9軍団(ジェシー・リー・リノ少将)を指揮した。右翼は北のターナーギャップとフォックスギャップに派遣された。左翼はウィリアム・B・フランクリン少将が指揮し、その第6軍団と第4軍団のダライアス・コウチ少将師団で構成され、南のクランプトンギャップに派遣された。中央(第2軍団と第12軍団)はエドウィン・V・サムナー少将が指揮し、予備隊とされた。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「サウス山の戦い」の詳細全文を読む
スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース |
Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.
|
|