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サキャ派()はチベット仏教4大宗派の1つ。時として赤帽をかぶることから、ニンマ派、カギュ派とともに西欧人に〔ロラン・デエ p.21〕赤帽派と呼ばれている宗派の1つでもあり、古くは「花派」と表記されたこともある。 後期密教の代表的な経典の1つである「喜金剛タントラ」(ヘーヴァジュラ・タントラ)を依経として、初発心と行道とが覚りの境地に等しいと説く「ラムデ」(道果:どうか)を最奥義とする密教の教義、大成就法が他の宗派と異なる。チベット仏教の古い流れを伝えてはいるが、無上瑜伽タントラの主要な五タントラを体系化した「五大金剛法」を取り入れ、顕教と密教の双方を重んじている。 ==歴史== ===サキャ派が出来るまで=== サキャ派は中央チベットのツァンに栄えたクン族(コンとも書かれる)による宗派である。クン氏の伝承によると、クン氏の祖先は神の子であった。吐蕃時代のティソン・デツェン王の頃から歴史に登場し、コン・ペルポチェは大臣を務めている〔ロラン・デエ p.73〕。また、インドからの渡来僧シャーンタラクシタに得度を受けた〔ルイ・ワンポはチベット最初期の僧の1人とされる。 後にサキャ派の開祖となるコンチョク・ギェルポ (1034 - 1102) は、在家の行者であった〔立川 p.69〕。コンチョク・ギェルポは、当初はチベット古来からの仏教であるニンマ派の教えを受けたが、規律の緩みはじめていたニンマ派の教えに飽き足らず、兄シェーラプ・ツルティムに命じられてドクミ ('brog mi) の門下となった。ドクミはインドから来た高僧ガヤダラの弟子で、インドのヴィクラマシラー寺 (:en:Vikramashila University) で数年学んだ学者・翻訳家である。ドクミはサンスクリット文字の原典をチベット語に翻訳した『カーラチャクラ(時輪)タントラ』をコンチョ・ギェルポに授け、これがサキャ派の教義の基盤になった〔Blue Annals pp.206ff.>〕。 コンチョク・ギェルポは1073年、チベット南部のシガツェにあるポンボ山 (dPon po ri) ポンポリの白い土地を吉祥と見て寺を建てた〔立川 p.37〕。そのため、コンチョク・ギェルポの始めた教義は「白い土地」を意味する「サキャ」と名づけられた。また、この寺が後のサキャ寺である。 サキャ寺院を開いたのはコンチョク・ギェルポであるが、サキャ派の初代座主はコンチョ・ギェルポの兄シェーラプ・ツルティムとされ、コンチョク・ギェルポは2代目座主と呼ばれている〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「サキャ派」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Sakya 」があります。 スポンサード リンク
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