|
サッカーデンマーク代表()はデンマークサッカー協会(DBU)により編成されるデンマークのサッカーのナショナルチームである。 == 歴史 == 「ダニッシュ・ダイナマイト」とあだ名されるデンマーク代表は、古くからサッカーの強豪として知られていた。オリンピックでは、1908年のロンドン、1912年のストックホルムと2大会連続で銀メダルを獲得。1948年のロンドンオリンピックで銅メダル、1960年のローマオリンピックで銀メダルを獲得している。 ワールドカップには長らく参加しない状態が続いていたが、1958 FIFAワールドカップ スウェーデン大会から参加した。この大会では本大会に駒を進められず、以降、欧州予選敗退が続いていたが、80年代に入って好選手が次々に台頭して84年の欧州選手権でベスト4に進出し、実力国として注目を浴び始める。そして1986 FIFAワールドカップ メキシコ大会で本大会に初出場した。この大会ではプレーベン・エルケーア・ラルセンとミカエル・ラウドルップの2トップを擁してグループリーグを3戦全勝し、ベスト16でスペインに敗れたものの、3-5-2システムの果敢な攻撃サッカーから「ダニッシュ・ダイナマイト」と呼ばれた。 欧州選手権ではしばしばベスト4に入る活躍を見せたが、最も注目されるのはUEFA欧州選手権1992 スウェーデン大会での優勝である。デンマークは本大会への出場権を懸けた予選でユーゴスラビアに競り負け、本来、本大会への出場資格を有していなかったが、ユーゴスラビア代表がスウェーデンに入国した段階で国際サッカー連盟(FIFA)と欧州サッカー連盟(UEFA)が国際連合の対ユーゴスラビア制裁に従って、ユーゴスラビアの出場資格を取り消したため、急遽ユーゴスラビアに代わって出場することになった。選手の殆どはバカンスに出かけていた状態であり、準備も出来ないまま大会に臨んだが、ピーター・シュマイケルやブライアン・ラウドルップらの活躍もあり、優勝候補のオランダやドイツなどを退けて初のビッグタイトルを獲得した。 1995年にはFIFAコンフェデレーションズカップの前身であるキング・ファハド・カップで優勝している。 ワールドカップ出場を2大会連続で逃したのち、1998 FIFAワールドカップ フランス大会では、ラウドルップ兄弟やシュマイケルらの活躍で過去最高のベスト8を記録した。その後、ヨン・ダール・トマソンやクリスティアン・ポウルセンらの世代に交代したが、国際大会ではトーナメント1回戦の壁を越えられず、若手の台頭が乏しい状況となった。伝統的にスウェーデンには激しいライバル意識を持っており、UEFA欧州選手権2004 ポルトガル大会やUEFA欧州選手権2008 スイス・オーストリア大会予選などで対戦している。 2010 FIFAワールドカップにはニクラス・ベントナーやシモン・シェアーら新鋭を加えて出場したが、堅守が崩れてグループリーグ3戦全てで失点。オランダ、日本に次ぐグループEの3位に終わり、本戦出場を果たした大会では初めて決勝トーナメント進出を逃した。 2大会振りの出場となったEURO2012ではグループBでドイツ、オランダ、ポルトガルと対戦。2010 FIFAワールドカップ準優勝のオランダを破るも、その後連敗しグループリーグ敗退となった。2014 FIFAワールドカップ、EURO2016は予選敗退となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「サッカーデンマーク代表」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|