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サミュエル・デール・"サム"・ブラウンバック(Samuel Dale "Sam" Brownback、1956年9月12日 - )は、アメリカ合衆国カンザス州出身の政治家、カンザス州知事(2011年-)。連邦下院議員(1995年-1996年)、連邦上院議員(1996年-2011年)を歴任。2008年アメリカ大統領選挙で共和党の予備選にも出馬した。共和党所属で政界きっての保守派で、ローマ・カトリックの信者である。 == 半生・政治キャリア == カンザス州ガーネットの農家に、ドイツ系とユダヤ系ドイツ人移民の両親の間に生まれる。 地元のカンザス州立大学で学士号を取得した後、カンザス大学で修士号を取得。その後通商代表部、ホワイトハウスでの勤務を経て、後に下院議長となるニュート・ギングリッチの保守革命・アメリカとの契約に賛同、1994年の中間選挙で同州2区から下院議員に初当選を果たす。だが、当選後2年も経たないうちに、同じカンザス州選出の上院議員、ボブ・ドールが大統領選出馬のため議員を辞職すると、補欠選挙に出馬。上院議員に初当選する。1998年、2004年の選挙でも圧勝し2011年まで3期約14年連邦上院議員を務めた。 社会的には、妊娠中絶、同性結婚に反対している。外交・安全保障では、孤立主義の傾向が強いキリスト教原理主義者にあって、介入主義的である。9・11後のアフガン攻撃終息後は、ジョー・リーバーマン、ジェシー・ヘルムズら9人の議員と共に、イラクを対テロ戦争第二幕にするよう、ブッシュ大統領に提案。2003年のイラク戦争開戦のきっかけを作る。イラク占領後は民主党のジョセフ・バイデン議員と共にイラクをシーア派、スンニ派、クルド人に分割し連邦国家として統治させる法案に賛同している。 また、北朝鮮の独裁体制と人権侵害を厳しく批判している政治家でもあり、拉致問題の国民大集会にもVTRで参加したこともある。 2007年1月20日、2008年アメリカ合衆国大統領選挙への出馬を表明したが、イラク戦争開戦を支持した一方で、2007年1月10日にジョージ・ブッシュ大統領が断行したイラクへの当初計画・陸軍5個旅団・2万人規模(最終的規模は3万人に増大)の米軍増派に対しては一転して反対するブレを見せたため、支持拡大にはつながらず、同年10月19日に大統領選からの撤退を表明。11月にはイラク政策など安全保障政策を共有するジョン・マケイン上院議員の支持に回る。また、2007年に論議となった不法移民合法化法案には賛成票を投じている(最終的に廃案)。2008年の共和党大会では最終日に登壇、マケインへの支持を呼びかけた。 同月には、訪米した平沼赳夫元経産相や家族会のメンバーらと面会、ブッシュ政権が推し進める北朝鮮のテロ支援国家指定解除の動きを批判。指定解除を阻止する法案提出の意向を示し、12月10日、ジョー・リーバーマンやジョン・カイルらと共に、北朝鮮のテロ支援国家指定解除に反対する決議を上院に提出した。同決議案では、指定解除には拉致問題の解決、イランやシリアなどへの核拡散の防止などが盛り込まれており、先の平沼赳夫との会談の中身が実行された形である。北朝鮮に対する融和姿勢を理由にクリストファー・ヒル国務次官補の駐イラク大使就任にも、ジョン・マケインらとともに異を唱えている。 2010年の中間選挙においてカンザス州知事選に出馬、民主党トム・ホランド候補を大差で破って当選。2011年1月3日に連邦上院議員を任期満了に伴い退任。1月10日、カンザス州知事に就任した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「サム・ブラウンバック」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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