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イザベル・サルリ(, 1935年7月9日 - )は、アルゼンチンのモデル、女優である〔Isabel Sarli, Internet Movie Database , 2010年10月18日閲覧。〕。本名イルダ・イサベル・サルリ・ゴリンド・ティト ()。原音に忠実な表記はイサベルであるが、日本では本項目名で知られる〔イザベル・サルリ、キネマ旬報映画データベース、2010年10月18日閲覧。〕〔イザベル・サルリ、allcinema ONLINE, 2010年10月18日閲覧。〕〔イザベル・サルリ、''movie-fan.jp'', 2010年10月18日閲覧。〕。 == 来歴・人物 == 1935年(昭和10年)7月9日、アルゼンチンのエントレ・リオス州コンコルディアに生まれる〔。 1955年(昭和30年)、同年度の「ミス・アルゼンチン」のタイトルを獲得、イルダ・イサベル・サルリの名で、同年度のミス・ユニバース(ミス・ユニバース1955)に出場する〔〔Universe 1955 ,''pageantopolis.com '' , 2010年10月18日閲覧。〕。同大会は、スウェーデン代表のヒレヴィ・ロンビンが第1位、日本代表の高橋敬緯子が第5位を獲得した年である〔。 俳優から監督も手がけるようになったアルマンド・ボーに抜擢され、1956年(昭和31年)、『女体蟻地獄』にボーとともに主演して、映画界にデビューする〔。以降、ボーの監督作を中心に女優として活躍、時期は不明であるが、ボーと結婚した〔。 1980年(昭和55年)に公開されたボーの監督作 ''Una viuda descocada'' に出演したのを最後に、映画界を退く〔。1981年(昭和56年)10月8日、ブエノスアイレスでボーが死去し、同作はボーの遺作となった〔, 2010年10月19日閲覧。〕。 1996年(平成8年)、ホルヘ・ポラコの監督作に出演、16年ぶりにカムバックした〔。2008年(平成20年)、アルゼンチン映画批評家協会功労賞を受賞した〔。2009年(平成21年)にもボラコの監督作に出演している〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「イザベル・サルリ」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Isabel Sarli 」があります。 スポンサード リンク
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