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サン・ルイジ・デイ・フランチェージ聖堂 : ウィキペディア日本語版 | サン・ルイジ・デイ・フランチェージ教会[さんるいじでいふらんちぇーじきょうかい]
サン・ルイジ・デイ・フランチェージ教会()はローマにあるローマカトリックの小バシリカで名義教会であり、ナヴォーナ広場の近くにある。聖母マリア、聖ドニ、フランス王聖ルイ9世に捧げられている。1518年から1589年にかけて、ジャコモ・デッラ・ポルタが設計しドメニコ・フォンターナが完成させた。建設にあたってはカトリーヌ・ド・メディシスが建設場所の土地を寄付するなど、個人的に支援している。ローマ在住フランス人の国民教会である〔Les Pieux Etablissements De La France A Rome et A Lorette (in French) 〕〔Les églises Française de Rome (Official website) 〕。''Titulus S. Ludovici Francorum de Urbe'' の現在の枢機卿は André Vingt-Trois である。 == 歴史 == 898年、サラセン人がファルファ修道院を焼いたため、避難民の一部がローマに移住した。ローマに移り住んだ修道士らは修道院長 Ratfredus(934年 - 936年)が修道院を再建しても戻らなかった。10世紀末には、ファルファ修道院はローマに教会や住居や風車やブドウ畑を所有するようになっていた。神聖ローマ皇帝オットー3世は998年、3つの教会(サンタ・マリア、サン・ベネデット、サン・サルヴァトーレ)の所有を確認している。1480年、ファルファ修道院が資産をメディチ家に引き渡したとき、サンタ・マリア教会を聖ルイ教会に改称した。枢機卿ジュリオ・デ・メディチは1518年、フランス人コミュニティのための教会の建設を Jean de Chenevière に委任した〔Lesellier, J. (1931), ''Jean de Chenevières, sculpteur et architecte de l'église Saint-Louis-des-Français à Rome'', Mélanges d'archéologie et d'histoire, 48 (48), pp. 233-267.〕。1527年のローマ略奪で建設は一時中断したが、1589年にドメニコ・フォンターナが完成させた。内装は1749年から1756年にかけて Antoine Dérizet が改装している。 ' という財団はローマのフランス系の5教会やローマとロレートにある共同住宅の建物を管理している〔。この財団は駐バチカン・フランス大使が指名した管理代理人により運営されている。 という財団はローマのフランス系の5教会やローマとロレートにある共同住宅の建物を管理している〔。この財団は駐バチカン・フランス大使が指名した管理代理人により運営されている。
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英語版ウィキペディアに対照対訳語「 San Luigi dei Francesi 」があります。
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