|
サーベイヤー3号()はアメリカ合衆国のサーベイヤー計画の3機目の月着陸探査機。1967年4月17日に打ち上げられ、4月20日に月面座標南緯3º 01' 41.43"、東経23º 27' 29.55"嵐の大洋の既知の海付近に着陸した。その後6,315枚のテレビ画像を地球に送っている。 サーベイヤー3号の着陸時、反射率の高い岩が宇宙機の月降下レーダーを混乱させたことが、後にクレーター内部で判明した〔hq.nasa.gov ''Surveyor Crater and Surveyor III'' 〕〔nasa.gov ''Contour Map of Surveyor Crater'' 〕。エンジンは当初計画されていた4.3mの位置で切ることに失敗し、この遅れによって着陸機は月面で2度バウンドすることになった。最初のバウンドでは10m程度に持ち上がり、2度目は3m程度のバウンドであった。2度のバウンドの後、当初計画の3.4mより低い3メートルの高さから速力0で落ちることとなり、非常にゆっくりと降下し接地3度目で月面への着陸を果たした。 3号はサーベイヤー計画で初めて表面土壌採取スコップを搭載しており、伸縮式の腕は撮影した写真の中に見ることができる。この機構は電気モーターで稼動する腕に乗っており、月に溝を掘るために使った。これらの溝は18センチメートルの深さに達し、溝から得られた土壌は画像を撮影し、地球へと送信するためにサーベイヤーのテレビカメラの前に据えられた。1967年5月3日に月で最初の夜を迎え、太陽電池で稼動するサーベイヤーは一度休眠した。夜明けは14日後であったが、夜の間にとても冷たい状況におかれたため、再稼動はできなかった。これは月の夜明け後にも再稼動を果たしたサーベイヤー1号とは対照的な結果となった。 == 装置類 == === テレビ装置 === ビジコン管、25・100ミリメートル焦点レンズ、シャッター、光学フィルター、絞りの機能がついたテレビカメラが中央の軸から16度傾斜の軸に取り付けられていた。また、垂直、水平方向に可動な鏡の下に取り付けられていた。カメラの運用は地上からのコマンドに依存していた。方位で360度、面法線の+40度上からカメラのZ軸、さらに-65度下まで撮影できた。200走査線モードは無指向アンテナで送信を行い1フレームあたり61.8秒で走査した。200走査線写真の完全なビデオ送信は20秒が必要であり、1.2kHzの帯域幅が使われた。600走査線写真は指向性アンテナで送信され、これらの写真は走査1回に3.6秒がかかり、ビジコンからの画像を読むのに名目1秒を必要とし、220kHzの帯域幅が使われた。これらの写真は高持続蛍光体に被せられた低速スキャンモニターで表示された。持続性は名目最大フレームレートに合うように選ばれた。TV識別の1フレームは1画像ごとに受信され、受信画像とともにレート対応のリアルタイムで表示された。これらのデータは磁器ビデオテープに記録された。 カメラは1967年4月20日から5月3日までに6,315枚の写真を地球に送信した。これらの写真の中には宇宙機自身、パノラマ月面調査写真、掘取機の動作の様子、地球による日食の様子などが撮影された。 アポロ12号の月着陸船はサーベイヤー3号の着陸地点近郊に着陸して乗組員のコンラッドとビーンは宇宙機を調べ、10kgほどのサーベイヤーのパーツを地球に持ち帰った。この中にはカメラも含まれており、現在では国立航空宇宙博物館の常設展示になっている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「サーベイヤー3号」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|