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アル=マリク・アル=サーリフ(الملك الصالح نجم الدين أبو الفتح أيوب al-Malik al-Ṣāliḥ Najm al-Dīn Abū al-Futūḥ Ayyūb, 生没年:1205年頃 - 1249年11月22日、在位:1240年-1249年。アラビア語:الملك الصالح نجم الدين أبو الفتح أيوب بن الملك الكامل محمد بن ااملك لعادل أبي بكر بن أيوب。ラテン文字転写:al-Malik al-Ṣāliḥ Najm al-Dīn Abū al-Futūḥ Ayyūb b. al-Malik al-Kāmil Muḥammad b. al-Malik al-`Ādil Abī Bakr b. Ayyūb。)は、アイユーブ朝第7代スルターン。父は第5代スルターン・アル=カーミル。 == 生涯 == === 北方国境時代 === アル=カーミルがスーダン出身の女性に生ませた息子といわれる〔牟田口 p. 193〕。 1227/8年、父カーミルにより後継者に指名されるが〔Maqrizi p. 201〕、1229/30年、異母兄弟アル=アーディル(2世)の母アル=シット・アル=サウダーがサーリフが王座を狙っているとカーミルに告げたため、継承権を剥奪され部下も多くが逮捕された〔Maqrizi pp. 213-4〕〔アーディル2世の母親の名についてはMaqrizi p. 233〕。 この後サーリフはルーム・セルジューク朝との国境付近に領地を与えられて赴任している〔サーリフが確保していた領地についてはMaqrizi p. 235〕。 なお、佐藤次高氏はシャジャル・アル=ドゥッルがサーリフに嫁いだのはサーリフの北方国境時代、カイファ城の城主だった頃であろうと推測している〔佐藤a p. 333〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「サーリフ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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