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サールィチ岬の海戦[さーるぃちみさきのかいせん]
サールィチ岬の海戦(さーるぃちみさきのかいせん; ボーイ・ウムィーサ・サールィチュ)は、第一次世界大戦初期にクリミア半島南端のサールィチ岬沖においてロシア帝国艦隊とドイツ帝国・オスマン帝国艦隊の間に行われた海戦である。事実上、戦闘はロシアの前弩級戦艦エフスターフィイとドイツ・オスマン帝国の巡洋戦艦ヤウズ・スルタン・セリム(ドイツ名ゲーベン)との一騎打ちとなった。ゲーベンが多数の命中弾を受けて戦場から逃走したことで戦闘は終結した。前弩級艦が弩級艦に正面から戦いを挑み、勝利を収めた珍しい例である〔ただし、ロシアの公式発表では「戦勝」とされたものの、実際にはロシア艦も大きな損傷を受けており、ドイツ艦の損傷がそれほどでなかったことを考えると、艦・人員等の損害を主体として考えた場合の「勝利」には疑いが差し挟まれている。〕。 == 概要 ==
=== 海戦の背景 ===
1914年8月16日、ドイツ帝国は同盟国であるオスマン帝国に対し、地中海や黒海における優勢を築くため2 隻の有力艦を引き渡した。これが、オスマン帝国海軍にとって最新艦となる巡洋戦艦ヤウズ・スルタン・セリム(ドイツ名ゲーベン)とマクデブルク級小型巡洋艦ミディッリ(ドイツ名ブレスラウ)である。両艦はオスマン帝国海軍への編入後も、ドイツ人の乗員によって指揮されていた〔戦闘に参加した2 隻のオスマン帝国艦は事実上ドイツの指揮下に入っていたため、ロシアではこれらをドイツ帝国海軍の所属艦と看做して元の艦名で呼ぶことが多い。〕。 この2 隻の存在は、黒海を抱えるロシアにとって大きな脅威となった。そのため、ロシアでは黒海艦隊への新しい弩級戦艦の配備を急ぐとともに、旧式化していた前弩級戦艦(元の艦隊装甲艦)の近代化工事を実施した。これにより、エフスターフィイ級はじめ黒海艦隊の主力艦は曲がりなりにも近代的な武装を備えるに至った。そして、来るべきオスマン艦隊との衝突に備えて黒海艦隊は黒海上での演習に従事した。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「サールィチ岬の海戦」の詳細全文を読む
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