翻訳と辞書 |
サーンチーの仏教建造物群 : ウィキペディア日本語版 | サーンチー
サーンチー()は、インドの中部にあるマディヤ・プラデーシュ州、ラーイセーン県の丘陵の村である。 大乗仏教遺跡があり、仏塔・寺院などが多く存在する。1989年にそれらは世界遺産に登録された。 == サーンチーの塔 == インド古代史の上で最初の統一国家であるマウリヤ朝の最盛期を築いたアショーカ王は嵩仏王と呼ばれた。紀元前3世紀にアショーカ王は8万4千もの釈迦の遺骨(仏舎利)を安置する卒塔婆(ストゥーパ)を建立した。そのうちの8つがサーンチーに建てられた。現在、3つが残っている。それぞれ「第一塔」・「第二塔」・「第三塔」と名前がつけられている。アショーカ王の造立したストゥーパは、マウリヤ朝の次のシュンガ朝・アーンドラ朝になって、石材によってみごとに変貌する。第一塔は紀元前3世紀頃の仏塔を紀元前後に増拡したもので、もっとも完全な形を保っている。第一塔がサーンチーの塔(サーンチーのとう)である。サーンチーの塔は、ドームのような形をしている。直径は約36.6mで、高さは約16.5mである。もともと釈迦の骨を収めるために盛られた塚だった。その後、盛られた土の上に煉瓦を積み重ねた。銀白色と金色のしっくいを塗り、てっぺんには長方形の台と3段の傘を加えた。また下の部分には壇と手すりを設けた。周囲には二重に欄楯(玉垣)が巡らされ、東西南北の四方に「トラナ」と呼ばれる塔門が配置されている。トラナの高さは約10m。塔門は日本の鳥居に似ているが、二本の方柱に三本の横梁が渡されている。この塔門には仏伝図や本生図などが多数彫刻されており、工芸的に大変すぐれたものである。方柱の上で梁を支える彫刻は塔門によって異なり、北門と東門がそれぞれ趣向を変えた象、南門が獅子、西門が財宝神クラーベ(または豊饒神ヤクシャ)である。南門の獅子像は二本の柱に四頭ずつ丸彫りされていて、サールナートのアショーカ王の石柱の上の獅子像とよく似ている。他の塔門の梁の上や浮彫にも多数の獅子像や有翼獅子像が見られる。 ストゥーパはシャカムニの遺骨を安置したものであるから、これらの獅子像は、ストゥーパへの入口を守護する役割を担っていると考えられる。王墓を守護するスフィンクスや王城守護の獅子門の流れがここにあり、有翼の獅子が見られることにも、西方からの影響が強く感じられる。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「サーンチー」の詳細全文を読む
スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース |
Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.
|
|