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ザクセン=コーブルク=コハーリ家 : ウィキペディア日本語版
ザクセン=コーブルク=コハーリ家

ザクセン=コーブルク=コハーリ家は、 ドイツ中部にあったザクセン=コーブルク=ゴータ公国の君主の家系であるザクセン=コーブルク=ゴータ家カトリック系分家で、ザクセン=コーブルク=ゴータ公子フェルディナントコハーリ・ド・チャーブラーグ・エ・シトニャ公女マーリアが結婚したことにより始まった。同家は最後のポルトガル国王3代(ルイス1世カルロス1世マヌエル2世)並びに同じく最後のブルガリア国王3代(フェルディナンド1世ボリス3世シメオン2世)を輩出している。
== 歴史 ==
1816年1月ザクセン=コーブルク=ゴータ公子フェルディナントコハーリ・マーリア・アントーニアが結婚し〔http://www.kuk-wehrmacht.de/biograph/b0003scsk.html〕、1826年に妻の父親であるコハーリ・ド・チャーブラーグ・エ・シトニャ公ヨージェフが没すると、フェルディナント公子は妻の実家であるハンガリー、コハーリ家 (ハンガリー語版) の爵位と領地を相続してローマ・カトリックに改宗した。その傍系子孫はブラジル皇女、オーストリア大公女、"フランス人の"王女、ベルギー王女及びザクセン公女と巧く結婚した。その子孫 (wikitionary) フェルディナンド1世は、新生ブルガリア公(クニャズ)、後に国王(ツァール)に即位し、その一族は1946年まで同国を統治した。現ブルガリア王家の当主で、最後のブルガリア国王シメオン2世第二次世界大戦後の廃位 (英語版)亡命を経て ''シメオン・サクスコブルクゴツキ'' の名で帰国し、2001年から2005年までブルガリアの首相を務めた。
フェルディナント公子、マーリア公女夫妻は以下の4人の子を儲け、いずれもカトリックで育てた。:
# フェルナンド2世 (1816年 - 1885年) - ポルトガル女王マリア2世王配
# アウグスト (1818年 - 1881年) - ブルガリア国王フェルディナンド1世の父。
# ヴィクトリア (1822年 - 1857年) - ヌムール公ルイと結婚。
# レオポルト (独語版) (1824年 - 1884年)

Maria Antónia Koháry.jpg|コハーリ・ド・チャーブラーグ・エ・シトニャ女公マーリア(1797年–1862年)
Ferdinand I. Sachsen-Coburg-Gotha Litho.jpg| ザクセン=コーブルク=ゴータ公子フェルディナント (1785年–1851年)
Kinder Herzog Ferdinands.jpg|父の胸象を前にするフェルディナント公子(後のポルトガル国王フェルナンド2世)アウグスト公子ヴィクトリア公女


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ザクセン=コーブルク=コハーリ家」の詳細全文を読む



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