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ザック・リチャード・スターキー(Zak Richard Starkey、1965年9月13日 - )はイギリスのミュージシャン。ビートルズの元メンバー、リンゴ・スターと元妻モーリン・コックスとの間の長男。2008年まで、オアシスのサポート・メンバーであった。弟のジェイソンと妹のリーがいる。娘のターシャ・スターキーはベーシストとして活動している。 父リンゴは「ドラムは人から教わるものじゃない」という考えだったため、リンゴを慕っていたザ・フーのキース・ムーンからドラムを教わることになる。そのためか、プレイスタイルはキースのようなパワフルなものとなっている。 == 主な活動 == * 1984年、ボズ・バレル(元バッド・カンパニー)等とナイトフライを結成するが、レコード発表には至らず。 * 1980年代中期から、本格的にプロのセッション・ドラマーとして活動。1985年には父リンゴと共に「アパルトヘイトに反対するアーティストたち」の曲「サン・シティ」のレコーディングに参加。その後はエイドリアン・スミス(アイアン・メイデン)等、多くのミュージシャンと共演する。 * 1990年代前半には、父リンゴ率いる、リンゴ・スター&ヒズ・オール・スター・バンドの正式メンバーとしても活躍、1995年には来日も果たす。 * 矢沢永吉の1992年作品『Anytime Woman』の収録曲「Anytime Woman」と「銀のネックレス」に参加。アビーロード・スタジオにてレコーディングされた。 * 1994年には、ロジャー・ダルトリーのツアーをサポート。 * 1996年6月のハイドパークで行われたイベント(プリンストラスト)よりザ・フーのサポート・メンバーとなる。 * 元ザ・スミスのギタリスト、ジョニー・マーと出会い、ジョニー・マー&ザ・ヒーラーズを結成。最初は6人編成で、2000年にフジ・ロック・フェスティバル出演のために来日するが、その後トリオ編成になり、2003年、アルバム『ブームスラング(BOOMSLANG)』を発表。同年3月に来日し、東名阪で3公演行った。 * 2004年、THE ROCK ODYSSEY 2004出演のために、ザ・フー念願の初来日。ザックの、キース・ムーンを思わせるドラム・プレイが絶賛される。 * ザ・フーの来日公演の少し前から、オアシスにも誘われ、2004年のライヴからサポートメンバーとして加入。2005年発表のアルバム『ドント・ビリーヴ・ザ・トゥルース(Don't Believe the Truth)』に、ほぼ全面参加。ツアーにも同行。 * オアシスのツアーで忙しかったため、ザ・フーの2006年発表のアルバム『エンドレス・ワイヤー(Endless Wire)』では、1曲しか叩いていない。しかし、ザ・フーの2006年のツアーには参加。 * 2006年秋から年末にかけて行われたオアシスのアコースティック・ライヴには、ノエル・ギャラガーの友人であるテリー・カークブライドが参加したため、ザックは帯同していないが、翌年2月には、ブリット・アワードでのオアシスのステージにアルバム発売時のツアー同様参加。結果的にこれがオアシスのメンバーとして最後のライブ演奏となった。 * 2008年発表のオアシスのアルバム『ディグ・アウト・ユア・ソウル (Dig Out Your Soul)』のレコーディングに参加。だが、2008年5月、『ザックはこの先、オアシスのレコーディングにもツアーにも参加することはないだろう』と報じられ、その後正式にサポートメンバーから脱退。関係者は「ノエルと意見の対立があった」と話しているが、オアシスのメンバーは「ザックはザ・フーに専念したかっただけ」と語っており、対立を否定している。ザックの後任はクリス・シャーロックが務めた。 * 2012年ロンドンオリンピックの閉会式におけるザ・フーの演奏にドラムとして参加。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ザック・スターキー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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