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ザテトラーク : ウィキペディア日本語版
ザテトラーク

ザテトラーク'、1911年 - 1935年)は、アイルランド競走馬である。
奇妙な斑点模様を持つことで知られる一方、抜群のスピードを武器に短距離で圧倒的な強さを誇り、種牡馬としても成功した。イギリスでは20世紀最強の2歳馬とされる。競走馬名の由来はヘロデ・アンティパスの称号「テトラーク(Tetrarch、四分封領主)」から。本馬の父ロアエロドがヘロデ大王を意味することから、その息子ヘロデ・アンティパスにちなんで名付けられた。あだ名は「Spotted Wonder」(脅威のまだら)。1911年 - 1935年)は、アイルランド競走馬である。
奇妙な斑点模様を持つことで知られる一方、抜群のスピードを武器に短距離で圧倒的な強さを誇り、種牡馬としても成功した。イギリスでは20世紀最強の2歳馬とされる。競走馬名の由来はヘロデ・アンティパスの称号「テトラーク(Tetrarch、四分封領主)」から。本馬の父ロアエロドがヘロデ大王を意味することから、その息子ヘロデ・アンティパスにちなんで名付けられた。あだ名は「Spotted Wonder」(脅威のまだら)。
== 生涯 ==

=== 誕生 ===
ザテトラークは1911年4月22日アイルランドキルデア州のストラファン・ステーション牧場で生まれた。同牧場の経営者エドワード・ケネディは当時イギリスでほとんど消え去ったヘロド系三大父系のひとつ)の復興に情熱を注いでいた。ケネディはフランスオーストラリアからヘロド系の種牡馬を輸入し交配してみたがあまり結果を出せず、これはかえってオーストラリアでもヘロド系を滅ぼす結果に終わった。
1912年、ケネディが生産したダークロナルドが出走していたドンカスターカップに、フランス産のロアエロドという名の芦毛馬が遠征しダークロナルドを負かして2着に入った。ロアエロドがヘロド系だと知ったケネディは同馬を2000ポンドで購入した。なおロアエロド(Roi Herode、ヘロデ大王)とは英語に直すと「King Herod」になり、ヘロド系の根幹種牡馬キングヘロド(一般にヘロドと呼ばれる)と同じ名前になる。ロアエロドは1910年に脚を痛めて競走馬を引退し、ストラファン・ステーション牧場で3頭の繁殖牝馬と交配した。そのうちの一頭がザテトラークの母・ヴァーレンであった。誕生時のザテトラークは栗毛に芦毛と黒毛のまだら模様(ベンドア斑)を持ち、雄大な体格をしていた。成長するにつれて馬体は白さを増していった。
1912年セリ市に上場されたザテトラークはアティ・パース調教師によって1300ギニーで落札された。落札額はこのときのセリ市における最高額に近いもので、パースは代金を支払いきれず、いとこのダーマット・マッカルモントに転売した。ザテトラークという競走馬名もこのとき決定した。
1913年、パースが調教のためにザテトラークを含む2歳の管理馬4頭を同時に走らせてみたところ、ザテトラークはほかの馬を大きく引き離した。数日後3歳馬といっしょに走らせてみたところふたたび独走した。さらに数日後、57.2キロ斤量を背負わせた際も同様の走りを見せた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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