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ザドルガ(ラテン文字:''Zadruga''、キリル文字:''задруга'')とはバルカン半島のスラヴ人らによって主に営まれた父系制の家族制度のこと。 中世から19世紀前半、ブルガリアからクロアチアにかけての南スラヴ人らが多くすむ地域において共通に見られた。 == 定義 == 主にセルビア人、クロアチア人らの間でザドルガと呼ばれるこの制度は父親、息子などの兄弟、その妻や子供らが同居する大家族共同体を成しており、兄弟らは平等な立場であった〔越村 (1994)、pp.1-3.〕。この共同体はアメリカのザドルガ研究家フィリップ・E・モズリーによれば「二つ以上の生物学的小家族からなる世帯で、血縁または養子関係で密接に結びつき、生産手段を共有し、生活手段の生産と消費を共同で行い、その財産、労働、生活の管理を共同で行なうもの」として規定されているが、その他にも多く論争が生じており決定には至っていない〔越村 (1994)、p.61.〕。 古くはステファン・ドゥシャンの制定したドゥシャン法典にも記載があるが、これは微々たるものであり、さらにオスマン帝国がバルカン半島に進出したことにより、キリスト教徒とオスマン帝国との戦いにより教会や修道院の文書、個人が所有していたと思われる文書もほぼ失われており、さらには過去にバルカンの人々のほとんどが文盲であったことが災いしている〔越村 (1994)、p.11.〕。 現在、存在する文書はドゥブロヴニクとイスタンブルに存在するものが中心であるが、この内容もザドルガの社会的、経済的なものを理解することには利用できるが、ザドルガという組織の細部まで伺いしることはできない状態である。そのため、近年までバルカン半島各地に残された伝統を調査することにより、ザドルガの研究が進められている〔越村 (1994)、pp.11-12.〕。 ザドルガ自体は1970年代にいたってもコソボには生き残っており、コソボのアルバニア人ザドルガの調査を行なった社会学者V・S・エリッチによればコソボのアルバニア人らによるザドルガは今後も生き続けると推測している〔越村 (1994)、p.132.〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ザドルガ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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