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ザナドゥ計画 (''Project Xanadu'') は、世界最初のハイパーテキストプロジェクト。1960年、テッド・ネルソンにより創始された。開発は長期に及び、1998年に「Project Udanax」としてソースコードを公開。2014年に開発開始から54年間を経てプロジェクトの成果物であるソフトウェア「OpenXanadu」をリリースした。 公式サイトでは、紙媒体との発想の違いを強調している。曰く、「今日、広く使われているソフトウェアは紙媒体を模している。(同様に紙媒体の模倣である)World Wide Webは、リンクが一方向で途切れ易く、バージョン・コンテンツの管理を欠いている。こうしてWWWは、我々が元来構想していたハイパーテキストモデルをつまらないものにしてしまった」。一方、雑誌WIREDはザナドゥ計画を「コンピュータ業界史上最長のベーパーウェアストーリー」と揶揄している〔開発に54年間もかかったソフトウェア「Xanadu」がついにリリース、その秘めたる野望とは? Gigazine 2014年6月10日〕。 == 歴史 == テッド・ネルソンは、ハーバード大学大学院一年次であった頃に、ザナドゥ計画に繋がる概形を持つシステムを実装しはじめた。これはワードプロセッサの一種で、複数のバージョンを保存し、バージョン間の差分を表示することができた。完成はしなかったものの、システムの試作品は他人の興味を刺激するのに十分であった。 このアイディアに加え、ネルソンは、読者が電子文書を読む経路を自分で選べるような、不連続な文書を簡単に書けるようにしたいと考えた。このアイディアを「ジッパー式リスト」 (zippered lists) と称して、1965年、ACMに出した論文に載せた。ジッパー式リストは、別々の文書の一部を切り貼りして新たな文書を作ることができた。ネルソンは、この概念をのちにトランスクルージョンと名付けた。1967年、ハーコート・ブレース出版に勤めていたころ、サミュエル・テイラー・コールリッジの詩クーブラ・カーンに因んで、この計画をザナドゥと名付けた。 テッド・ネルソンは、自らのアイディアを、『コンピュータ・リブ/夢の機械』(1974年)、『リテラリーマシン』(1981年)といった書籍の形で出版した。『コンピュータ・リブ / 夢の機械』自体、不連続な形式で書かれている。とりわけ、コンピュータの利用に関するネルソン自身の考えを、順序の無い形でまとめたものである。『コンピュータ・リブ』と『夢の機械』は背中合わせに印刷され、互いに反転させることができる。前者はネルソンを憤慨させる事柄についての考えを載せ、後者はコンピュータに潜在する学芸を支援する力への展望を論じている。 1972年、ネルソンは目的を果たすためコンピュータを借り受け、キャル・ダニエルズがザナドゥの最初のデモバージョンを作成した。しかし、たちまち資金は底をついてしまった。1974年、コンピュータネットワークが出現したころ、ネルソンはザナドゥの構想を洗練させて情報の中央源と見なし、ドキュバース(docuverse、文章宇宙)と称した。 1979年、ネルソンは、ロジャー・グレゴリーやマーク・ミラー、スチュアート・グリーネら弟子たちのグループを率いてスワスモアに入った。グレゴリーが借りた家で、ザナドゥの構想が徹底的に議論された。結局、夏の終わりにグループは分裂。ミラーとグレゴリーは、超限数の理論に基づいたアドレス方式を考案し、タンブラーと名付けた。この方式はファイル中のどの部分も参照することができた。 グループは活動を続けたが、破産寸前であった。1983年、ネルソンは、スティーブン・レビーの『ハッカーズ』に登場するような人種の会合で、オートデスク社の創業者ジョン・ウォーカーに出会い、グループはオートデスクの財政支援を受けてザナドゥの仕事を始めた。 オートデスク社にある間、グループはグレゴリーに率いられてC言語でソフトウェアを完成させたが、動作は目標に及ばなかった。とはいえ、このバージョンのザナドゥはHackers Conferenceでのデモに成功し、ハッカー達の興味を強く煽った。そして、パロアルト研究所から雇われた新しいプログラマーのグループは、このソフトの問題を解決するにはSmalltalkで書き直すべきだと主張した。この主張はグループを事実上分裂させたが、結局書き直しを決めたため、オートデスク社に課せられた締め切りを過ぎてしまった。1992年8月、ザナドゥのグループはオートデスク社から処分され、Xanadu Operating Companyを設立したが、内部の反目と資金の欠乏からいざこざが絶えなかった。 Memexという(ヴァネヴァー・ブッシュが提案したハイパーテキストシステムに因む名前の)企業の創設者Charles S. Smithは、ザナドゥのプログラマの多くを雇い、ザナドゥの技術をライセンスした。ところが、Memexは直後に経営危機に陥り、一時給与を支払われなかったプログラマたちがコンピュータを持ち出して会社を離れた。(最終的に、給与は支払われた。)この頃、ティム・バーナーズ=リーがWorld Wide Webを発展させた。 1998年、ネルソンはProject Udanaxとしてザナドゥのソースコードを公開した。プログラムに使われている技術やアルゴリズムが、幾つかのソフトウェア特許を無効化することを狙っている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ザナドゥ計画」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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