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ザルム家[ざるむか]
ザルム家(Haus Salm)は、モーゼル川流域地方の領主の家系で、神聖ローマ帝国の帝国伯家の1つ。上ロレーヌおよびルクセンブルクを支配していたアルデンヌ家の傍系であり、家名はアルデンヌ地方のヴィエルサルム城(現在のベルギー領)とアルザス地方・ヴォージュ山脈(現在のフランス領)のサルム城〔http://www.chateau-de-salm.org/〕に由来する。旧シュタンデスヘル家門であり、ドイツでは現在も存続する上級貴族の家系の1つである。 == 歴史 == アルデンヌ家の始祖ウィゲリックはロタリンギア宮中伯となり、その息子ジークフリート1世は最初のルクセンブルク伯となった。その孫のギゼルベルトは1036年にザルム伯に叙せられた後、1047年になってルクセンブルク伯家の家督を継いだ。ギゼルベルトは長男のコンラート1世にルクセンブルクを継がせたが、次男のヘルマンにザルム伯爵領を与えた。このヘルマンがザルム家の直接の始祖である。ヘルマンは1081年、神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世の対立王としてドイツ王に選ばれた。 ヘルマンの孫息子のザルム伯ハインリヒ1世(''Heinrich I.'')は1163年、ザルム伯爵領を分割相続させた。息子のハインリヒ2世(''Heinrich II.'')がヴォージュ山脈地方に位置する上ザルム伯爵領(''Grafschaft Obersalm'')を受け継ぎ、娘婿のヴィアンダン伯フリードリヒ2世がアルデンヌ地方に位置する下ザルム伯領(''Grafschaft Niedersalm'')を相続した。これ以降、2つのザルム伯爵領は帝国領において別々に発展していくことになった。また、下ザルム諸家は男系ではシュポンハイム家の傍系が受け継いだ形となった。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ザルム家」の詳細全文を読む
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