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ザンギー朝[ざんぎーあさ]
ザンギー朝(英語:Zengid Dynasty, アラビア語:زنكيون)は、12世紀から13世紀にかけてイラク北部(ジャズィーラ)とシリアを支配した、テュルク系のアタベク政権。武将イマードゥッディーン・ザンギー(ザンギー、1087年? - 1146年)により樹立された。十字軍に対し、イスラム世界最初の組織的な抵抗を行った政権である。
== ザンギーのアタベク政権 == ザンギーの父アーク・スンクルはセルジューク朝のスルタン・マリク・シャーに従う武将でシリア北部の都市アレッポを任されていたが、半独立への動きを見せたため殺され、ザンギーはモースルの領主(アタベク)ケルボガ(カルブーカ)の下で育った。バスラを治めていたザンギーは、1127年、セルジューク朝のスルタン・マフムード2世をカリフによる反乱から守った功績を認められ、同年イラク北部の都市モースルの太守に任ぜられた。 彼は翌1128年、シリア・セルジューク朝とアルトゥク朝の領主が相次いで倒れ混乱していたアレッポに入り、アルトゥク朝アタベクのバラクの妻だった女性と結婚し、自らアタベクとなった。以後はシリア南部の中心ダマスカスのブーリー朝と争い、1144年には十字軍国家エデッサ伯国の都エデッサ(現在のトルコのウルファ)を陥落させた。十字軍国家群の一角を崩したザンギーは一躍イスラム世界の英雄として称えられたが、1146年に奴隷により殺されてしまった。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ザンギー朝」の詳細全文を読む
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