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ウィリアム・ロジャー・クレメンス(William Roger Clemens, 1962年8月4日 - )は、アメリカ合衆国オハイオ州デイトン出身のプロ野球選手(投手)。 160km/h前後の球速とその力強い弾道、育った場所がNASAの連絡基地のあるヒューストン近郊ということからロケットと呼ばれる。メジャーを代表する投手の1人。歴代最多7度のサイ・ヤング賞受賞をはじめ、数々の記録、獲得タイトルにより、多くの野球解説者から大リーグ史上5本の指に入る投手といわれている。また、2006年、ESPN解説者達の投票により、生存する最も偉大なピッチャーに選ばれた。 == 経歴 == === プロ入りまで === クレメンスが3歳の時に両親は離婚〔。母親はすぐにウッディー・ボウワーと再婚し、今でもクレメンス本人は彼を父親として敬っているが、9歳の頃に死去〔。1977年までオハイオ州デイトンに住んだ後、高校時代をテキサス州で過ごした。同州ヒューストンのスプリング・ウッズ高校ではアメリカン・フットボール、バスケットボール、そして野球の3種目でスターとして活躍した。野球では一塁手と投手でテキサス州選抜に選ばれ、3年次にはフィラデルフィア・フィリーズとミネソタ・ツインズから誘いを受けるが、断り大学に進学。大学ではアメリカン・フットボールのディフェンシブとして1つ、バスケットボールのセンターとして2つの推薦を受けるものの、大学では野球を続けることを選択した。 1981年にはサン・ヤシント・ジュニアカレッジで9勝2敗の成績を挙げ、全米選抜に選ばれた。同年ニューヨーク・メッツにドラフト12巡(全米288位)で指名されるがこれを拒否し、テキサス大学へ進学した。1982年から2年間で25勝7敗、275イニングを投げ、奪三振241を記録。1983年に全米大学野球選手権で優勝し、当時付けていた背番号21は同大最初の永久欠番となっている。それまで全米一の大学野球選手に与えられていたロータリー・スミス賞は2004年よりクレメンスの功績を称えてロジャー・クレメンス賞と改名された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ロジャー・クレメンス」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Roger Clemens 」があります。 スポンサード リンク
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