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ザールラント州立劇場(ザールラントしゅうりつげきじょう、)はドイツ・ザールブリュッケン市の街の中心に位置するシラー広場にある歌劇場、劇場で、9月から翌年7月までのシーズンを通してオペラ・オペレッタ・ミュージカル・バレエ・演劇・コンサートなどが催されている。州立劇場 (Staatstheater)、アルテ・フォイヤーヴァッヘ (Alte Feuerwache)、シュパルテ4 (Sparte4)の3つの劇場から構成されている。 == 沿革 == ザールラント州立劇場は「総統ヒトラーからの贈り物」〔1935年、国際連盟の管理下にあったザールラントの帰属を廻って住民投票が行われ、その結果ザールラントはドイツに帰属することになった。その決定に感謝の意を表して、総統ヒトラーは「総統からの贈り物」としてこの劇場を建てた。〕としてパウル・バウムガルテン(パウル・オットー・アウグスト・バウムガルテン)によってガウ劇場ザールプファルツ〔ドイツ第三帝国の当時、ドイツはガウという大官区に分かれており、ザールラント周辺はザールプファルツ大官区だった。〕の名称で、1937/38年に建設された。 1938年10月9日のこけら落としはリヒャルト・ワーグナーの「さまよえるオランダ人」。当時の劇場は客席数は約1200席、赤と金色で装飾された豪華な作りで客席中央には総統席(ボックス席)があった。 しかし、1941年と1942年の空襲で劇場は崩壊、戦後に再建された劇場は外観は復元されたが、客席数は約300席少ない875席になり、総統席も無くなった。 1948年3月6日の再こけら落としは、モーツァルトの「魔笛」。 ヘルマン・ヴェーデキント (Hermann Wedekind)の劇場支配人時代 (1960-1975)、彼は「芸術に国境はない」というモットーのもと、多くの外国人作品、特にフランスやグルジアの作品を取り上げ、上演した。劇場では「グルジア週間」が催され、この縁でグルジアの首都トビリシとザールブリュッケンは姉妹都市提携を結んだ。 1988年にザールラント州が劇場に関する全権を引き継ぎ、Saarländische Landestheater von der Staatstheater GmbHとなったが、その1年後の1989年にSaarländisches Staatstheater GmbHへ引き継がれ、現在の名称になった。 通常の上演活動以外に、ザールラント州の若者への芸術振興にも力を注いでおり、以前からある児童バレエ団や児童合唱団の指導に加え、2006年からJörg Wesemüller指導の下、12歳から21歳の若者に授業料無しで演劇の稽古をしてシーズン最期にアルテ・フォイヤーヴァッヘで公演を行うJugendclubが導入された。 2009年からはザールラント州の学生〔無料券の対象となるのはUniversität des Saarland, HTW, HfM Saar, HBK Saarの学生で、Tageskasseで学生証を見せるともらうことができる。〕は州立劇場の公演を公演の3日前から無料で購入できる制度を導入している。 また、子供や若者向けのコンサートや演劇などの公演も多く行われている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ザールラント州立劇場」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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