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シウタデリャ・デ・メノルカ : ウィキペディア日本語版 | シウタデリャ・デ・メノルカ
シウタデリャ・デ・メノルカ()またはシウタデラ・デ・メノルカ()は、スペイン・バレアレス諸島州のムニシピ(基礎自治体)。メノルカ島西部にあり、メノルカ司教座が置かれている。公式名はカタルーニャ語のCiutadella de Menorca。 == 歴史 == 様々な時代、様々な民族から、Jamma、Nura、Minerva、Iamo、Iamona、Medina Minurkaと違った名前で呼ばれてきた。現在の名前になったのは、アラゴン王アルフォンソ3世軍に占領され、ヨーロッパの文化圏に組み入れられてからである。現在の名はラテン語のcivitatellaから派生したものだとされる。しかしこのシウタデリャという名称は、レコンキスタ以前から、ローマの影響を受けたメノルカのモサラベたちの間で生じていた。 1558年にオスマン帝国の艦隊がシウタデリャを攻撃し、住民の一部がイスタンブルへ連れ去られた。この年からゆっくりと町は再建されたが、1646年には黒死病の流行に見舞われた。スペイン継承戦争中の1708年にイギリスが侵攻し制圧(ミノルカ島の占領)、ユトレヒト条約でイギリスのメノルカ支配が認められた。70年あまりの占領下で、メノルカ島中心都市の地位をマオーに奪われ、衰退していった。 スペイン内戦ではシウタデリャはスペイン第二共和政に忠誠を示した。1939年のメノルカの戦いでフランコ軍がシウタデリャを押さえ、マオーの共和国軍と対峙した。
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