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シャウエンブルク家 : ウィキペディア日本語版
シャウエンブルク家[しゃうえんぶるくか]

シャウエンブルク家()は、ドイツ諸侯の家系である。シャウムブルク家ともいわれる。シャウムブルク伯領およびホルシュタイン伯領を領した。ホルシュタイン伯領は後にホルシュタイン=イツェホー、ホルシュタイン=キール、ホルシュタイン=ピンネベルク(1640年まで)、および、ホルシュタイン=ゼーゲベルク、ホルシュタイン=レンズブルク(1460年まで)に分割された。また、のちにシュレーズヴィヒ公領も得た。
==歴史==
シャウエンブルク(シャウムブルク)の名は、同家の本拠地であったヴェーザー川沿いのリンテルン近くにあるシャウエンブルク城(のちシャウムブルク城)から名づけられた。1295年からは同家はシャウエンブルク伯を名乗った。アドルフ1世が1106年に初めてシャウエンブルク領主となった人物と考えられている。
1110年、シャウエンブルク領主アドルフ1世はザクセン公ロタールにより、ハンブルクを含むホルシュタインおよびシュトルマルンをレーエンとして与えられた。〔Lemma Schauenburg/Schaumburg. In: Klaus-Joachim Lorenzen-Schmidt, Ortwin Pelc (Hrsg.): ''Schleswig-Holstein Lexikon''. 2. Aufl., Wachholtz, Neumünster, 2006.〕
ホルシュタインはシュテラウの戦い(1201年)の後、デンマークに占領されたが、ボルンヘーフェトの戦い(1227年)においてシャウエンブルク伯らにより再び征服された。
1640年にオットー5世が嗣子なく死去した後、シャウエンブルク家は断絶した。ホルシュタイン=ピンネベルク伯領はホルシュタイン公領に併合された。本来のシャウムブルク伯領は、シャウエンブルク家の後継者の間で3つに分割相続された。それらのうち1つはブラウンシュヴァイク=リューネブルク公領に組み込まれ、1つはシャウムブルク=リッペ伯領に、もう1つはシャウムブルク伯領として存続し、ヘッセン=カッセル方伯により同君連合の形で統治された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「シャウエンブルク家」の詳細全文を読む



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