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シャム69(Sham 69・シャムシックスティーナイン)は、イギリスサリー州ハーシャムで1976年に結成されたパンク・ロックバンドである。2014年時点で、「シャム69」を名乗るバンドは2つ存在している状態である。 ==経歴== ===結成から解散まで=== 1969年、サリー州のサッカークラブであるウォルトン・アンド・ハーシャムFCが地域リーグを制覇。その際、サポーターの一人がサッカー場の壁に、優勝を記念すべく「Walton & Hersham 69」の落書きを残した。 数年後、地元の青年ジミー・パーシー Jimmy Pursey がその落書きに目を留める。字は時を経て消えかかっており、「sham 69」の部分だけが残っていた。パーシーはこれを自らのバンド名に使用する。シャム69とフットボール・カルチャーは後年切っても切れない関係となるが、このエピソードはそれを象徴するものとして頻繁に引き合いに出されるようになる。 1977年、パーシー(ヴォーカル)、デイヴ・パーソンズ Dave Parsons (ギター)、アルビー・マスケル Albie Maskell (ベース)、マーク・ケイン Mark Cain(ドラムス)の陣容で、初シングル『I Don't Wanna』をインディー・レーベルのステップ・フォワードより発表。プロデュースはヴェルヴェット・アンダーグラウンドのジョン・ケイル。マスケルがデイヴ・トレガンナ Dave Treganna に交代し、翌1978年1月、シングル『ボスタル・ブレイクアウト Borstal Breakout』で英ポリドール・レコードよりメジャー・デビューを果たす。 サッカーの応援歌にも似た、観客が一緒に歌いやすい曲調は「シンガロング・スタイル」と呼ばれ(後のOi!パンクの源流とされる)、レコードセールスの上では好成績を残し続けたが、ライヴはパンクスやスキンヘッドたちの喧嘩の場と化すようになり、活動に支障をきたすようになる。1978年のレディング・フェスティバルでは、『If the Kids Are United』を歌ってキッズたちの連帯を訴えても一向に喧嘩が収まらない状況にパーシーが絶望し、ステージ上で涙を流したと伝えられる(パーシーは一貫してこれを否定)。 1979年にシャム69は活動を停止。パーシーはスティーヴ・ジョーンズ、ポール・クックと『シャム・ピストルズ』結成へと動くが、頓挫。シャム69の活動に戻る。1980年のアルバム『The Game』(ドラムスはリック・ゴールドスタイン Rick Goldstein に交代)発表後に解散した。パーシーはソロ活動へ移り、元ジェネシスのピーター・ガブリエルらと共作を残したほか、エンジェリック・アップスターツなどのプロデュースを行った。トレガンナは元デッド・ボーイズのスティーヴ・ベイター、元ダムド~ヘリオンのブライアン・ジェイムスらとローズ・オブ・ザ・ニュー・チャーチを結成した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「シャム69」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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