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シャムスッディーン・カユーマルス : ウィキペディア日本語版
シャムスッディーン・カユーマルス

シャムスッディーン・カユーマルス〔カイカーウス(Kaika'us)とも〕(Shamsuddin Kayumars, 1287年 - 1290年?)は、北インドデリー・スルターン朝奴隷王朝の第11代(最後)君主(在位:1290年)。
==生涯==
1290年、父ムイズッディーン・カイクバードが貴族らに退位させられると、ハーレムにいたその3歳の息子であるカユーマルスが「シャムスッディーン」の尊称(ラカブ)の下に即位した〔荒『インドの「奴隷王朝」 中世イスラム王権の成立』、p.60〕。貴族らはすぐさまその名を刻んだ貨幣を鋳造して、当時勢力を伸ばしていたハルジー族の族長ジャラールッディーン・ハルジーに対抗しようとし、王朝の存続を試みた〔荒『インドの「奴隷王朝」 中世イスラム王権の成立』、p.60〕。
しかし、同年にジャラールッディーンはデリーの宮殿を先制攻撃し、カユーマルスは捕えられ、すでに病床にあった父カイクバードも殺された〔ロビンソン『ムガル帝国歴代誌』、p.126〕。これをもって、奴隷王朝はその終焉を迎え、新たにハルジー朝を創始された。
カユーマルスがその後どうなったのかは不明であるが、のちの記録にその名が見えないことから、恐らく父とともに殺害されたと考えられる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「シャムスッディーン・カユーマルス」の詳細全文を読む



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