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シャルマ
シャルマ〔『神の文化史事典』、『古代メソポタミアの神々 世界最古の「王と神の饗宴」』で確認した表記。〕(サルマとも。Šarruma、)は、フルリ人の神話を起源としにも取り込まれている神〔, p. 159.〕。山の神、牡牛の神とされる。 嵐の神〔と女神の息子〔である。 == 信仰 == 紀元前2千年紀の初め頃から後半にかけてメソポタミア北部を中心に勢力を広げていたフルリ人が信仰していた神々は、地元の旧来の神々としばしば習合していった。ヒッタイト王国では、それまでに多くの民族の神々を受け入れていたが、フルリ人の神々が伝わってくるとそのまま受容していった。新王国時代のヒッタイトでは国家を守護する神々がフルリ人の信仰に由来する神々とされた。首都ハットゥサ(現在のボアズキョイ)にほど近い岩山には、紀元前13世紀のヒッタイトの王トゥトハリヤ4世が築かせた、と呼ばれる岩の神殿があるが、神殿の壁にはテシュブやシャルマといったフルリ由来の神々の浮き彫りがつくられている〔, pp.156-166.〕。 スッピルリウマ1世〔スッピルリウマ1世(シュッピルリウマ1世)は在位紀元前1355年頃 - 紀元前1320年頃。〕の治世以降、シャルマはヒッタイトの国家神のうちの1柱とされた。その後、トゥトハリヤ4世〔トゥトハリヤ4世(トゥドハリヤ4世)は在位紀元前1236年 -紀元前1220年。〕はシャルマを自身の個人神とした〔, p. 250.〕。ヤズルカヤの岩の神殿には、少年の姿のシャルマが母神ヘバトと共に描かれた浮き彫りの他に、少年の姿をしたトゥトハリヤ4世が力のある大人の姿のシャルマに肩を抱かれている様子を描いた浮き彫りもつくられており〔, pp. 166-167.〕、そこではトゥトハリヤ4世自身が神格化されている〔, p. 158.〕。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「シャルマ」の詳細全文を読む
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