翻訳と辞書
Words near each other
・ シャルピー衝撃値
・ シャルピー衝撃試験
・ シャルピー衝撃試験機
・ シャルブ
・ シャルプラニナッツ
・ シャルヘイ・キスリャク
・ シャルヘイ・シュンジカウ
・ シャルマ
・ シャルマ (曖昧さ回避)
・ シャルマイ
シャルマナセル5世
・ シャルマネセル1世
・ シャルマネセル2世
・ シャルマネセル3世
・ シャルマネセル4世
・ シャルマネセル5世
・ シャルマン
・ シャルマン火打スキー場
・ シャルム
・ シャルム (イスラエル王)


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

シャルマナセル5世 : ウィキペディア日本語版
シャルマネセル5世[しゃるまねせる5せい]
シャルマネセル5世Shalmaneser V、在位:紀元前727年 - 紀元前722年)は、新アッシリア王国時代のアッシリアの王である。アッカド語ではシャルマヌ・アシャレド (Shulmanu asharid) と表記される。名前の意味は「シャルマヌ神は至高なり」である。

== 来歴 ==
ティグラト・ピレセル3世の子として生まれた。父王の治世にはジミッラ (zimirra) 州の長官を務めていた。紀元前727年に王位を継ぐが、彼の王碑文が残っていない上に他の史料にもほとんど登場せず、治世についての情報は少ない。
彼の治世中にイスラエルホシェアがエジプトと結んで反乱を起こした。それに対して遠征を行った。ホシェアは抵抗を諦めて降伏したが、サマリア市は2年に渡って抵抗した。紀元前722年にサマリアを占領したことが旧約聖書列王記」とバビロニアの年代記に記録されている。しかし同年遠征から帰還する前に死去し、兄弟のサルゴン2世が恐らく王位継承の争いの末に王座を継いだ。
なお、彼はアラム語等で残された一部の史料ではウルラユと言う名前で記載されている。これは「エルルの月に生まれた」という意味の名前であり、王位継承前の彼の名前であった可能性がある。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「シャルマネセル5世」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Shalmaneser V 」があります。



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.