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モイーズ=シャルル・アグノエル(〔Marquet (2014) p.51, 邦訳 p.87〕、1896年 - 1976年12月24日〔Rietsch (1977) p.543〕)は、フランスの言語学者、日本学者。セルゲイ・エリセーエフとならんで、第一次世界大戦後のフランスにおける日本研究の中心的な存在だった〔河合(1994) p.103〕。主著に『日本文化の起源』(1956)がある。 == 略歴 == アグノエルはカーンに生まれ〔、高等研究実習院でマルセル・グラネ、アンリ・マスペロ、ポール・ペリオといった世界的な東洋学者に学んだ。また言語学はアントワーヌ・メイエに学んだ〔Villard(1988) p.286〕。 1924年6月に渡日した。雑誌『日本と極東』() 上に森鴎外や志賀直哉の小説の翻訳を発表した。アグノエルは、立派だが時代遅れのラフカディオ・ハーンの書物や、日本をゲイシャの国とするなどのジャポニスムを脱した日本研究を行うべきであると主張した〔Marquet (2014) p.50, 邦訳 p.87〕。 アグノエルは1932年まで日仏会館の初代研究員をつとめた〔森川(1983) p.42〕。この間、日本本土だけでなく、沖縄・台湾・朝鮮を研究し、さらに満州や中国にも渡った。 1932年にフランスに戻り、国立東洋語学校の教授に就任した。さらに高等研究実習院第5部門(宗教学)で、渡米したエリセーエフの後任として日本の宗教史、のちに極東(日本と朝鮮)の宗教について教えた。 第二次世界大戦中にはパリを離れたが、1945年にパリに戻り、1947年に日本文化の起源に関する論文によって文学博士の学位を得た〔森川(1983) p.44〕。1953年には国立東洋語学校からソルボンヌ大学の教授に移り、日本の言語・文化を教えた。1967年に高等研究実習院を退官した。 1956年に出版された大著『日本文化の起源』()は、その主要な部分を日本語とアルタイ諸語との比較にさいているが、言語学者の服部四郎による否定的な書評がある〔服部(1999) pp.263-272(初出は1957年)〕。エドウィン・ライシャワーの書評では高く評価しているが、ロイ・アンドリュー・ミラーはライシャワーの書評を含めて批判している〔ミラー (1981) pp.18-20〕。 アグノエルはパリ大学日本高等研究所(IHEJ)の創立に尽力し、1959年にその初代所長に就任した(研究所は1973年以降コレージュ・ド・フランスに所属)。 アグノエルは主に上代から平安時代までの日本文化を研究した。『源氏物語』桐壺帖の翻訳があるが、意図的に極端な逐語訳になっている。 没後に『シャルル・アグノエル選集』全3巻が出版されている。第1巻が言語学、第2巻が宗教・歴史・文学、第3巻が琉球・台湾関係にあてられている。 アグノエルが1930年に沖縄を調査したときのノートが1990年代に発見された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「シャルル・アグノエル」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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