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シュエズィーゴン・パゴダ(シュエズィーゴン・パヤー、)は、ミャンマーの仏教施設。バガン(パガン)近郊のニャウンウーに位置する。 バガンのアーナンダ寺院と並んで、パガン王朝を代表する宗教建築物として知られている〔邸、武田『ミャンマー 仏教遺跡の宝庫を歩く』第2版、96-98頁〕。11世紀にパガン王朝の創始者アノーヤターと、3代目の国王チャンシッターによって建立され、後に建立されたビルマ式パゴダ(仏塔)の原形となった〔大野『謎の仏教王国パガン』、63頁〕。「シュエ」()はビルマ語で「金」〔、ズィーゴンは「砂の河岸」〔伊東『ビルマ仏教遺跡』、201頁〕、もしくはパーリ語で「祝福された土地」〔を意味する。 == 歴史 == シュエズィーゴン・パゴダは、ビルマ族の進出前からパガンに居住していたピュー族の文化とパガン王朝によって征服されたのモン族の文化が融合する初期の建築物に位置付けられる〔千原大五郎『南の国の古寺巡礼』(NHKブックス, 日本放送出版協会, 1986年3月)、179頁〕。 1059年にアノーヤターによって起工され、土台は完成したもののアノーヤターの死によってパゴダの建立は中止される。チャンシッターの治世に工事が再開され、パガン近郊のツゥン・ウィン山の石材を使用してパゴダが建てられ、1090年に完成する。チャンシッターによって奉納された2つのモン語の碑文は、碑文堂に保管されている〔伊東『ビルマ仏教遺跡』、205頁〕。 16世紀にタウングー王朝のバインナウンによって大規模な修復工事が実施され、2つの梵鐘が奉納された。18世紀末にコンバウン王朝のシンビューシンにより、2度目の大規模な修復工事が行われた。この時にシンビューシンによってパゴダの頂上に金色の傘蓋(ティ)が載せられたが、1975年に起きた地震によってティは外れてしまい、境内東の建物に保管されるようになった〔伊東『ビルマ仏教遺跡』、206頁〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「シュエズィーゴン・パゴダ」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Shwezigon Pagoda 」があります。 スポンサード リンク
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