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シュガーローフの戦い(シュガーローフのたたかい)とは1945年(昭和20年)5月12日から18日にかけて行われた沖縄戦における戦いのひとつ。この地点は日本陸軍の首里防衛線の西端に位置しており、守備隊の独立混成第44旅団配下の部隊が、進撃してきたアメリカ第6海兵師団と激戦を繰り広げた。 日本軍は、シュガーローフ、ハーフムーンとアメリカ軍が呼んだ2つの丘と、ホースシューと呼ばれる背後の馬蹄形の斜面を巧みに連携させた防御陣地を構築し、アメリカ海兵隊を1週間にわたり撃退しつづけた。シュガーローフの丘は戦闘が行われた1週間で11回も持ち主を変え、ハーフムーンに至ってはアメリカ軍に主導権がわたることは一度もなかった。この戦いで海兵隊側は、2,662名の戦死傷者と、1,289名の戦闘疲労患者を出したとされる。日本側の損害については、この戦闘に限った統計がないため明らかではない。 なおシュガーローフ(Sugarloaf)とは、アメリカ海兵隊の目標区域7672G(7672ジョージ、または高地2)に対し、1945年(昭和20年)4月14日にウッドハウス中佐が名付けた呼称で、日本側は同じ丘を安里五二高地と呼称していた。戦前、地元ではこの丘から慶良間諸島が眺望できることから、慶良間チージ(キラマチージ)と呼んでいた。 シュガーローフとは、アメリカ南部地方の菓子パンであり、ウッドハウス中佐は、ガダルカナル島における訓練に使用した丘にも、同じ名を付けている。 == 背景 == 米軍のバックナー司令官は、進撃のスピードが遅いとの各所からの批判に晒されていた。このため、沖縄北部戦線を予定よりも早く完了した第3水陸両用軍団の第1海兵師団と第6海兵師団を南部戦線に投入し西側から防衛線を突破する計画を立てた。 一方で日本軍は、既に消耗していた第62師団の後方で首里防衛線の最西翼の安里地区に、知念半島で第2の米軍の上陸作戦に備えていた独立混成第44旅団を北上させて配置した。日本軍は、この場所を突破されると那覇市街を米軍に掌握され、さらに首里司令部の裏側に回りこまれて、包囲される恐れが出てきたため、予備兵力と残った砲兵力を惜しげもなくつぎ込む体制を整えていた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「シュガーローフの戦い」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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